拍手お礼SSその1です。
   お題「楼上」

「教授がお呼びです」現地の人足が私のテントに駆けつけてそう叫んだ。「至急来てください」
 私は、肌浅黒いその男に揺り動かされてはじめて目覚めた。いったい何が起こったのか見当もつかなかったが、とりあえず私は内陸アジアの酷暑から身を守る帽子を被ると、急いでテントの外に出た。
 見上げると、雲ひとつない空は赤く輝いていた。もう夕方になってしまったのか! 私は疲労と暑気あたりで倒れた後、何時間も気を失ってしまったらしい。調査隊の貴重な時間をこんなにも浪費してしまったことに、私はあせりを覚えた。
 丘の上で、老教授が手を振っていた。早くこっちへ来いと言わんばかりである。私よりもあの教授のほうが体力では劣るはずなのに、なぜ私だけが倒れてしまったのか。たぶん私はこの埃舞い上がる荒野とは、体質的にまったく合わないのだろう。私は多くの同僚と違って、砂漠や荒野といった光景には淡い嫌悪と寂寞をしか覚えなかった。
 丘に上がると教授たちは、一つの掘り返した穴の周りに寄り集まっていた。 「やっと来たか。体のほうは大丈夫かね」老教授が興奮を隠さない顔で私にそう言った。 「ええ。しかしいったい何を発見したのですか」
「王女だよ」老教授は穴を指差してささやくように言った。「梨城の伝説に、漢族の将軍との政略結婚を逃れるために王宮の楼閣の上から飛び降りた王女の話がある。それに違いない。彼女の後頭部と頚椎の骨折が、それを証明している」
 私は教授の話の熱っぽさにぎょっとした。通常は慎重な性格をしている彼が、これほどまでに興奮している姿を私はついぞ見たことがなかった。私は教授に促され、穴の中を覗いた。
 そこには、ぼろぼろに風化した布に包まれた一体のミイラが横たわっていた。横に置かれた装身具などの副葬品の類から、高貴な身分であったことが伺えた。これが王女なのだろうか? 教授ほどには熱狂的になれない私も、このミイラの持つ魅惑の力を感じ取ることができた。
 地平線すれすれに沈んでゆく太陽が、荒野に奇怪な長い影をつくりだした。ミイラの顔にも複雑な陰影が生まれ、私はその何かを暗示するかのようなかたちに魅入った。ふと、私は彼女は微笑んでいるのだと思った。その瞬間私の脳裏に、彼女が生前そうであっただろうと思われる、美しい女性の姿が浮かんだ。
 私は彼女に恋情を抱いた。それははるか過去の死者に捧げられた、実を結ぶことのない愛であった。顔を一目見ることも、同じ時間を生きることもない男女の間には、果たして愛が芽生えるのだろうか? しかし、私は今まで地の底に埋もれていた彼女を全霊でもって愛することができた。それで十分ではないか! それがたしかに報われることはないが、終わることのない愛でもあることを、私は本能的に知っていた。
 夜の風の最初の一吹きがふき降ろし、私を身震いさせた。太陽はいつの間にか沈みきり、群青色の闇が丘を覆っていた。教授たちは、もうとっくに帰っていってしまったらしい。このあたりの夜は大変危険なのだ。
 私はそこまで考え、自分もまた早く帰らないと盗賊の餌食にされてしまうと気づいた。私は急いで丘をくだり、向こうのテント群を目指した。
 そのとき、私は銃声とともに胸に鋭い痛みを感じた。見る見るうちに胸が血で染まっていき、私は自分が撃たれたことを知った。このあたりの盗賊だろうか。私は砂を蹴たてて近づいてくる一つの足音を聞いた。
 私が最期に見たものは、銃を抱えてにやりと笑う男の顔だった。

お題提供 追憶の苑様 http://farfalle.x0.to/




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