御礼小話(グレイとクレア)



例えば今この掌に力を込めたなら、俺はきっと君の全てを支配できる。

そんな、己の匙加減一つでどうとでも出来てしまうか弱い存在が、目の前でただ無防備に笑う。
生え揃った白い歯を、合間からのぞく紅い舌を。餌のように目の前にぶらさげておきながら、まるで一つも罪を犯していないような無垢な顔で君は言った。

「あはは…ありがとうグレイ」

何もないところで転ぶのは君の特技らしく、そして何故か俺はそんな瞬間に立ち会うことが多かった。いやもしかしたら君がそれだけかなりの頻度で蹴躓いているだけかもしれないが、とにかく俺は、君の腕をがっしりと掴み、綺麗な顔が土に汚れるのを防いだところだった。

「気をつけろよ。て言うか何回目だよ」
「うっ耳が痛い…で、でもね?あたしも別に」
「わざと転んでるわけじゃねえんだろ。それも聞き飽きた」
「…うう」

弱々しい声と恨めしそうな瞳が上目遣いに俺を見つめる。

「…そんな目で、見んな」

掴んだ二の腕は力仕事をしていると思えないほど柔らかく、指の先が少しだけ沈む感触に身体が熱くなった。着古された長袖のシャツに隠された肌はきっと、透き通るように白く滑らかなんだろう。

「うわっひどい!そんな露骨に呆れた顔しなくてもいいじゃない!」
「…呆れてるわけじゃねえよ」
「じゃあ何よその目はー!グレイのくせにグレイのくせに!」
「何だよその、俺のくせにってのは」
「知らないっ…グレイの馬鹿!」


まるで警戒していない馬鹿は、君だ。


自分が脂の滴る肉で、俺はいつもそれを眺めて舌なめずりしている獣だなんて、そんなことは一度たりとも考えたことがないんだろう。でなければ今、突きあがる衝動を抑え込んでいる男を前にして、こんなにも無防備でいられるはずがない。

「……いい加減、気付けよな」

掴んだままの二の腕に力を込めて向き合わせた。
頬を膨らませていた君は目を瞬いて首を傾げる。

こんな、愚かな純粋さをひけらかされる度に、少しずつ理性が削り取られていくんだ。

「え、……っ!」

すっと伸びた首筋に、獣のように噛り付いた。
肉食獣はまず獲物の喉笛を噛み切って息の根を止めるらしい。けれど俺は彼女の命が欲しいわけではないからそこまで強くはなく、かと言って甘噛みというほど生易しくもない力加減で、白い首に歯を立てる。

「っつ…」

君が、ようやく自分の危機を悟って硬直するのが掌越しにありありと伝わった。俺はそれを、いい気味だと思った。

唇を振るわせる脈動。
触れた肌は甘く、柔く、立ち昇る香りに眩暈がした。

もぐように全身を君から離して踵を返す。
ずるり、どさ、と音がして、背後で君が座り込んだのが分かったけれど、今振り向けばもう止められない確信があった。君が泣いても、叫んでも。


「―――次は、首だけじゃ済まねえから」


だからもっと、俺を、獣だと思えばいい。




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