「エネルギヤ」 大人きどふどきど
テレビのニュース。大々的に報じられていたわけじゃない。それでも耳に引っかかったのは俺が未だにその名前を忘れられないからだと思う。
でも忘れる気なんてないんだ。永久に。
『——鬼道』
その翌日、佐久間から電話があった。俺は話の内容が予想できてしまい取るのをやめようかと思った。それでも最終的に通話をする気になったのは、こいつも俺を心配なんかしているという負い目からだ。
きっと、全てが始まっていなかったなら、この心配は存在しなかった。ないほうが良かったものなのに俺は少しだけ嬉しく思う。捻くれてる。
「お前、このままでいいのか?」
結局会って話がしたいという佐久間に呼び出され、居酒屋にいる自分は相当丸くなったと思う。子供の頃なら他人の干渉なんて無視しただろう。
「いいも何もないだろ」
「だってそれじゃ…」
「今のほうが鬼道クンは幸せだよ」
佐久間の方を見ないまま、俺は箸でつついていたものを口に運ぶ。
「俺なんかよりもよっぽど未来がある」
こう言ってしまえば佐久間は引き下がれないだろう。それが真実だとわかっているからだ。
五年付き合った。
いつもサッカーを挟んで二人で居た。学校からの帰り道、誰もいないのを確認しては手を繋いだ。大体俺のせいで喧嘩して、あっちが折れて仲直り。服が似合わないと言い買い物に連れていかれた。俺がテレビで見て覚えた手品にいちいち驚いては喜んで。抱き合って眠った。
一緒にいるのが楽しかった。かけがえのない煌めく時間。俺は今でも思い出す。初めて手を握った時の温かさを。
でもその温かさが消えてしまうことが怖かった。結局俺はただの臆病者で、その手を離してしまった。
それが、鬼道にとっての正しい幸せだと思った。
別れようと言った時、鬼道には婚約者が居て、きっと意図はバレていた。俺は昔ほどポーズをとるのがうまくなくて、付き合いが長くなったぶん余計にボロボロだったとは思う。でも鬼道は頷いた。
次の日から俺は鬼道を失った。今では誰かと並ぶ姿を人伝えに見聞きする。その度に煌めきが蘇る、そして俺はずっとそれを大切にしていこうと思う。宝物のように。
鬼道にとっては汚点のような過去かもしれない。でも俺には俺を動かすエネルギーなんだ。
佐久間は酔っぱらっていた。俺はそれを見ながらそこそこにグラスを傾け、こいつをどうやって家に帰せばいいのか考えていた。
「俺は、納得いってないんだからな」
黙っていると睨まれる。
「お前も、鬼道も、意地張ってるだけだ」
同意も反論もない。そういう言い方もできる。あの時は確かに意地もあったのかもしれない。でも今となっては何もない。あるのは現実だけだ。俺と鬼道は同じ道を歩いていない。
「お前といるとき鬼道はよく笑った。でも最近は笑わなくなったよ」
「そりゃあ単に大人になっただけじゃねえの?」
遠くを見るようだった佐久間はまた睨む。慣れている俺は何ともない。
「お前だって!そんなに達観してなかった、もっと…感情的だった」
単に大人になっただけ。そう返そうと思って、できなかった。
鬼道と別れて俺の中の感情は死んだ。何もかもが平坦に感じるようになった。あの時間みたいにきらきら輝いてはいない。だからこそ俺は二人で居た時間で動いているんだと思う。
「そう…かもな」
その後なんとか酔いを覚ました佐久間を一応家まで送り届けた。もうそろそろ日が変わろうかという頃、俺は一人で夜道を歩く。ちょうど終電がなくなる頃だから人はぱらぱら歩いている。
道を曲がったところで人が途切れた。もう一ブロック先に止まる車から出てきた人くらいしか居ない。
視界に映った途端、認めたくないのに脳が認識してしまう。俺が忘れるはずもない姿を思い出す。
それは間違いなく鬼道有人だった。記憶に残る姿とは違っているがこの間テレビで見たのとそう変わらない。
今にも叫びだしそうだった。それを留めたかわりに涙が溢れた。
押し込めていた後悔と離れている悲痛が胸を過る。ただそれだけで涙腺は壊れた。俺の感情は死んだわけじゃなかった、ただなくしていただけだ。
徐々に遠くなっていく鬼道の後ろ姿を見つめる。あの背中が幸せに向かえるなら、俺の後悔なんてどうでもいい。
涙を止められないまま俺は立ち尽くす。そのうち鬼道は見えなくなった。俺はまた記憶の中の鬼道を見つめる。永遠に。
2011/12 the pillows「エネルギヤ」より
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