グリモア博士は、はたから見てもわからない程度に。


パニックになっていた。















LONG AGO




 Secret File.21
「征服者の誕生」


















(あぁ、もう僕のバカバカ!生まれてから名前を付ける準備をするだなんて!)


黒マントの怪しい男は、はたから見れば優雅に本棚を見ているように見えるだろう。
たとえそれが、一般書店の新生児コーナーの本棚だとしても。
どれだけ真昼間の平穏な時間帯に、その黒マントが違和感をかもしだしているとしても。
あくまで彼は悠々と行動していた。


外面だけは。


一週間と三日前に、彼はパパになった。
愛しくて愛しくてたまらない最愛の妻との間に設けた、第一子である。
しかし正直に言ってしまうと、病弱な妻が妊娠している間は、恐ろしくて初めての子供を喜ぶ余裕もなく、生まれてからもなんのかんのと面倒が起り、そのごたごたに追われている間に、彼は昨夜妻に『名前どうする?』と電話でいわれるまで、息子の名前をつける事事態を忘れていたのだ。
今日で一週間と三日たつ。


(戸籍登録は、生まれて二週間以内だったはず)


つまりそれまでに名前を決めて、役所に提出しなくてはならない。
彼は気が遠くなった。


(四日で決まるわけないだろ!)


内心悲鳴を上げる。
本棚に目を通せば、もう二回は目を通した、『幸せになる子供の名前の付け方』『今はこの名前が旬!新生児の名前ランキング』が、まだ決まらないのかと嘆かわしげな視線を下ろしてくる。


すでにこの手の書物は昨日のうちに漁るだけ漁って、内容も頭に叩き込んである。手元にあるノートはびっしり書かれた名前候補でいっぱいだ。


(男の子だしな、力強い名前がいいけど。あんまりゴツい名前にしても、僕と妻の子だから似合わなそうだしなぁ)


友人たちにも連絡をつけたが、そういうのは奥さんと二人で決めたほうがいい、と突っぱねられた。
友達がいのない奴らめ、と一人ハンカチを噛んだのは内緒だ。


仕事の関係で、ニブルヘイムの妻と離れ、今彼のいるここはミッドガルである。電話だけで話し合うのはなんだし、約束の飛空挺の時間まではまだある、ということで彼は書店を梯子しているのであった。


(そういえば、彼女はどんな名前がいいんだろうか)


一度も話をしてこなかった自分を恥じた。
身重の彼女の体だけを気遣うばかりで、お腹の中の子供をむしろ厭うきらいすらあった。
そんな自分を笑い飛ばすように、妻子共に健康なままお産は終了した。


嬉しさとともに胃が沈み込む。


(ごめんよ、嫌いじゃないんだ、本当なんだ、父さんが馬鹿だった、僕の命以上に、母さんと同じくらい大事にするから、許して)


未だ戸籍もない息子への罪悪感に、父は書店の片隅でどんよりしたオーラを出した。




「どうしたの、いじけちゃって」
「なんでもないよ」


若干やつれた顔の夫に、彼女はいぶかしげな視線を投げつける。
またつまらない事で悩んでいるに違いなかったから、彼女は心配せずに息子に授乳を続けた。
息子は食が細いわけでもないのに夜泣きもほとんど無く、育児にかかわる母と女中をまったく困らせない子だった。
大事な人に心配をかけない所あたり、これは父親に似るわ、と彼女は少し不満だった。


(息子は母親に似るっていうくせに)


「で、どうしよっか」


夫はおずおずと切り出した。


「名前?」
「うん、いろいろ考えては来たんだけど。君はどういうのがいいのかって・・・・ほら、聞かなかったし」
「あぁ、決めたからいいのよ、別に」
「へぇ、決めて・・・・・あるっ!?」


夫は飛び上がった。彼女は眉をひそめる。


「息子の名前なんてどうでもいいのかと思ってたわ」
「誠にすいませんでした」


夫は土下座した。
彼女は鼻を鳴らすと、その頭に息子を置いた。


「ヴィンセント、パパを許してあげてもいい?」
「うーぶ」
「いいって、じゃ許してあげる」


夫は息子がどくと、顔を上げた。


「昨日はどうするって聞いてきたのに」
「その時点で決めてたら、少しは譲歩してあげる予定だったわ。でも、忘れてたみたいだから私で決めちゃった」


夫は視線をそらして、情けない声で言った。


「で・・・・・ヴィ、ヴィンセント(征服者)?」
「そ」


彼女はえっへんと胸をはった。力強くてかっこいい名前だ、とおおむね満足している。


「せめて、ヴィクター(勝者)くらいで手を打たない?」
「駄目よ、インパクト負けだわ」
「・・・・・・・」
「あなたと私の子供だもの、何があっても、力強く生きて欲しいのよ」


グリモアはまだ悩んでいるようだったが、それを聞くと苦笑して頷いた。


「仕方ないね」


彼女はにっと歯を見せて笑った。


「今に見てなさい。あなたその内、デッレデレな声で『ヴィンセント〜』って言うようになるから」


fin
















ついでに一言あればどうぞ(返信は日記でやっています)

あと1000文字。