オフライン再録小話。現在4種です。
【the sweetest day of my life * January】
洗濯物を干し終わって家の中に入ったら、カカシがごそごそと押し入れを漁っていた。
「正月早々なにしてんですか、カカシさん」
年が明けてまだ三日ほどしかたっていないというのにもう大掃除でもする気だろうか。つい最近年末に押し入れの掃除もしたと思ったのだが、ずいぶんとまぁ気の早いことだ。問いかけに振り向きもしないカカシに溜息を漏らしつつ、つい益体もないことを考えてしまった。
今頃いったいなにを探しているのだろう。籠を置き後ろからのぞき込めば、カカシは桐の衣装ケースを引っかき回していた。辺りには樟脳の独特な匂いが漂っている。
「あぁ、イルカ。洗濯終わったの?」
だったら手伝って、と言いながらカカシは体を少しずらしてイルカの座る場所を勝手に作ってくれた。手伝うなんて一言も言ってないのだけれど。好奇心に負けて取りあえずその場に腰を下ろせば樟脳の匂いが濃くなった。
「なにを探してるんですか?」
すでに探すことに飽きたらしいカカシに問い直せば、溜息混じりの答えが返ってきた。
「なにって出陣式の装束」
出陣式。カカシのその言葉にイルカはそういえば、と思った。そういえば年末にそんなことを言っていた気がする。今年はカカシが当番の年だったっけ。
出陣式というのは毎年一月の四日に催される木の葉の年始行事である。受付が五日から始まるにあたって、その前日の四日に今年一年の無事を祈願して行われるのだ。出席するのは中忍以上の忍び。当番制で大体四年から五年ごとに回ってくる。イルカは一昨年出たから来年か再来年にまた回ってくる計算だった。
「今年当番でしたっけ?そりゃあご苦労様です」
衣装ケースをのぞき込みながらイルカはカカシに思わず労いの言葉をかけた。出陣式といえば聞こえはいいかもしれないが、何のことはない自国の大名をはじめとしたお偉方を大々的に接待するただの新年会だ。
楽しいのは首脳陣ばかりで、出席する木っ端忍びは正月早々任務でもないのに神経を使わされていい迷惑である。皆が出たいと思わないから強制的に当番制になっている。イルカの言葉にカカシもうんざりしたように眉を寄せた。
「あーもうめんどくさいなー。イルカと家で正月を満喫してたいよー」
ただでさえ気乗りしない行事のための衣装だ。早々と探すのを諦めたのか、カカシはその場にごろりと寝転がってしまった。
「同感ですけどね。こればっかりは仕方ないですよ」
ぐちゃぐちゃにかき回されたケースから取りあえず衣装を引っ張り出しながら、イルカは小さく笑った。あんな退屈な式に出るくらいなら、本当にうちでごろごろしている方がよっぽどマシというものだ。
皺にならないよう一枚ずつ畳み直しながらイルカはぶうたれるカカシを笑った。子供みたいな人だと思う。もう三十に手が届く歳だというのにこの人は時々びっくりするくらい子供っぽい一面を見せる。イルカに笑われた事がおもしろくないのかカカシはごろんと横を向いてしまった。
この衣装ケースにはカカシの正装一式が大体収められているはずだった。歴戦の忍びだけあってカカシの正式な装束はイルカとは比べものにならないくらい多い。
中忍時代のもの――これは当たり前だが子供サイズのものしか残っていない――暗部時代のもの、そうして上忍用のもの。イルカが今手に取っているのは中忍時代の子供服だった。
流石のカカシも正装をおいそれとは捨てられなかったのか、大事にとは行かないまでもきちんと保管だけはしてあった。いちいち確認はしなかったものの、それをまとめてこの桐の衣装ケースに収めたのは他でもないイルカである。
荒らされた部分を畳み終えそれをケースの脇に積み上げたイルカは、改めて衣装ケースをのぞき込んだ。たとう紙に包まれた着物を取り出し丁寧に紐を解く。一枚目のたとう紙にくるまれていたのは真っ黒な上掛けだった。
「うわ、凄い」
イルカが思わず呟いたのも無理はない。ずっしりと重たいそれは上質の絹で、その表面には手縫いの刺繍が施してあった。刺繍糸の色も黒。黒地に黒い糸で施された刺繍は見覚えのある文様を描き出している。
それは焔の文様だった。木の葉の忍びにもっとも大切な火の意志を象徴している。
「なに?」
イルカの呟きにカカシがごろりと体の向きを変えた。
「これ、出陣式の衣装ですか?」
イルカがそう問えばカカシは、うん、と小さく頷いた。
「そう、出陣式用の衣装。暗部はそれ着るの。惜しいけど今回はそれじゃないね」
這い蹲ったままイルカににじり寄り、そうしてカカシはその衣装にちょんと手を触れる。白くすんなりしたカカシの手。この衣装にカカシの銀糸はさぞや映えるだろうとイルカは思った。
実のところイルカもこれと同じような衣装を持っている。それは同じく出陣式用の上掛けだった。中忍用の装束にも同じ文様が描かれている。ただし刺繍なんかじゃない。真っ白な上掛けに木の葉の象徴である焔が赤く染め付けられているのだ。上忍用は白地に銀糸で同じ文様が刺繍されている。上層部のお歴々は同じく白地に金糸の刺繍である。
イルカが見たことがあるのは中忍、上忍用、それに上層部の上掛けだけである。暗部も出陣式に出席していたとは知らなかった。
「暗部も出陣式に出席してるんですね。今まで知りませんでした」
絹の手触りを楽しんでいたカカシはイルカの言葉に少しだけ笑みを浮かべた。
「明日執り行われる出陣式には出席しませんよ。警護の暗部は配置されてますけど。暗部には暗部だけの出陣式があるんです」
腹這いのままもう少しにじり寄り、カカシはイルカの太股の上にぽすりと頭を乗せる。
「…その話はオレが聞いても大丈夫ですか?」
暗部の存在は木の葉中に知れ渡っているものの、その内実を知っているものはごく僅かしかいない。滅多に姿を見ることもない部隊だ。知ること自体が機密に関わる場合も多い。
カカシは時々不用意に暗部の話をしたりするからイルカがいつもそう聞いてしまう。大丈夫じゃない話をカカシほどの忍びが迂闊に口にするとは思っていないのだけれど。
「大丈夫でしょ、多分」
そうしていつもと同じ答え。
「じゃあ、聞かせてください」
暗部の話を聞くのは嫌いじゃなかった。一度は憧れた道だし、それがどんなに辛い話でもカカシの過去を知ることが出来る。全部を知りたいだなんてわがままなことを考えている訳じゃないけど、少しだけカカシに近づいた気がするのだ。
「暗部の出陣式はね毎年一日に行われるんです。出席するのは火影とご意見番、それにその時里にいる全ての暗部。場所は、まぁ秘密にしときましょうか。で、やはり一年の任務が滞りなく一人でも欠ける人間が少なくて済むことを祈願するわけです」
カカシはそう言いながらイルカの腰に緩く手を回した。膝に乗った頭に手を乗せれば嬉しそうにカカシが笑う。
「里の出陣式とは全然趣も雰囲気も違うよ。わざわざ火の国大社から巫女を呼んで厄払いと守護を授かったりしてね。暗部なんてとこは意外と験を担ぐやつが多いから、無理に任務を終わらせてでも出陣式に出たいってやつの方が多かったなぁ」
部屋の中はストーブのお陰で暖まっている。猫のようにイルカに懐くカカシも寒さに体を強張らせることもなく緩やかに筋肉を弛緩させたままだ。この人がこんな風に正月を迎えることが出来るようになって本当に嬉しい、とイルカは思った。
イルカはカカシの暗部時代を知らない。イルカがカカシと出会ったとき、カカシはすでに上忍に戻っていた。イルカと出会う何年も前、カカシは年が明けたその日にこの衣装を身に纏って出陣式に臨んでいたのだ。
「カカシさんも験を担ぐ方だったんですか?」
イルカが問えばカカシは何がおかしいのか不意に笑った。
「そうでもないつもりだったんだけど、今考えると結構頑張って出てた気がするんだよね。なんだかんだ言いながら年内の仕事は年内にやっつけちゃってたし。暗部に所属してた間で出陣式に出なかった年って一回か二回くらいだ」
そう考えると我ながらちょっと恥ずかしいね。目を細めて笑うカカシの髪をイルカは変わらず梳いている。こんな風にカカシが笑える日が来てくれて本当に嬉しいと思う。その側にいられることが。同じ場所で新年を迎えて、一番におめでとうと言えることがなによりも幸せだと思った。そうしてこの装束に二度と袖を通される日がないことが嬉しいと思う。
カカシの髪を梳く手を止めてイルカはその黒い装束に手を伸ばした。この重みはこの里の重みだ。里を護り、支えてくれている人たちの背負っている命の重み。こんな重たいものを長い間カカシは一人で背負っていたのだ。そうして今も背負ってくれている人がいる。
「そうだ、イルカ。それ着てみてよ。あんたにきっと似合うよ」
ずっしりと重たいそれはカカシにとってはただの上掛けに過ぎないのかもしれない。深い意味もなくそう言ったであろうカカシをイルカは何となく見つめてしまった。
脳天気というか凄いというか。幼い頃から優秀な忍びとして生きてきたカカシには里を守ること、そこに生きる人を守ることは呼吸をすることと同じくらい自然なことなのかもしれない。
「…いいですけど、たぶんカカシさんの方が似合うんじゃないですか?」
そう言ったイルカにカカシはいいから、と言って身を起こした。
「ほら早く立って。なんならオレも後から着てあげるから」
なんだそれ。オレがまるでカカシが着ているところを見たくて仕方ないと思ってるみたいな言い方。着てあげるって。いや、見たいのは確かだけど。
なんだかんだ思いつつイルカは渋々立ち上がって着ていた袢纏を脱いだ。カカシは相変わらず座ったまま、イルカに上着を差し出している。
重い上掛けに袖を通し、前を留める。闇よりも深い漆黒の装束。樟脳くさいのはいただけないけれど、なんだかちょっと強くなった気分がした。子供か、オレは。
「うん、似合うねぇ。イルカ格好いい」
カカシもようやく立ち上がりイルカへと手を伸ばす。襟の辺りを整えて、カカシはもう一度うんと頷いた。
「うん、やっぱりよく似合う。あの中忍用の装束どうも安っぽくってあんたに似合わないなぁって思ってたんだよね。こっちの方が断然いいよ」
一人悦に入って、うんうんと頷くカカシにイルカはちょっと呆れた。中忍用の装束は安っぽいのではなく正真正銘安いのだ。
上忍に比べて中忍は遙かに数が多い。暗部なんて上忍よりも数が少ないのだから少々金を掛けたってそりゃ平気だろうけれど、中忍の装束に金などかけていたら里の財政はたちどころに逼迫してしまう。何を考えているのやら。
掛けられている金の桁が違うのだから暗部用の装束の方がいいに決まっているのだ。良い衣装を着ているのだからイルカの見栄えがいつもより良いのも当たり前だと思う。馬子にも衣装というし。
「悪かったですね。中忍で」
イルカの台詞にカカシは笑った。
「何拗ねてんの。かわいい顔して」
キスを落とされ抱きしめられてイルカは腕の中でもがいた。馬鹿にしているのかこの上忍め。なーにがかわいい顔だ。むかつく。
「放せ、馬鹿上忍!」
「やーだよ」
鍛え上げられた体はイルカが少々暴れたからといってびくともしない。イルカが動くたびに樟脳の匂いが鼻について、途中で暴れるのを諦めた。いただけない匂いだ。
「…も、いいですけど。あんた明日の装束探さなくて良いんですか?」
イルカもすっかり当初の目的を失念していたのだが、カカシの目当てのものはまだ見つかっていないのだ。暗部装束になどかまけている場合ではない。
「…やな事思い出させないでよ」
とたんに表情を曇らせてカカシは溜息を吐き出した。カカシの気持ちは痛いほどよく分かるが、こうしてじゃれていても衣装は見つからない。
「さっさと探してゆっくりしませんか?あんたの好きな松月庵の豆大福買ってありますよ」
ぽんと優しく頭に手を置けばカカシは仕方なさそうに頷いた。多分豆大福が効いたのだろう。ほんと子供みたいな人だ。
「……はぁい」
渋々衣装ケースの前に座り込んだカカシの横に、イルカも腰を下ろす。暗部の装束はまだ着たまま。もう少しこの重みをイルカも感じていたいと思った。カカシが背負った重み。この里の、命の重み。
「もう、ぐちゃぐちゃにしないでくださいよ」
衣装ケースに無造作に手を突っ込もうとしていたカカシに釘を刺せば、その手がぴたりと止まった。この男…、性懲りもなくほんとにさっきと同じ事をやろうとしていたのか。
「ちぇ」
カカシの小さな呟きを聞き咎めて、イルカはその頭をはたいた。誰が片付けると思ってるんだ。ていうか何でオレが片付けるつもりになってるんだ。有り得ん。
「あ、そうだ。仕舞う前にカカシさんもこれ着てくださいよ」
「別にいいけど…。相当格好いいから多分惚れ直すよ?」
にたりと笑うカカシの頭をもう一度イルカははたいた。
「ばーか。早くしろ」
冷ややかに言い放てば、何その態度、とカカシが唇を尖らせた。幼いその仕草にイルカは思わず笑ってしまう。笑うイルカにぶつぶつと呟きながら、ようやくカカシは丁寧に次の衣装を取り出し始めた。
こうして来年の正月も二人で過ごせると良い。次にカカシが出陣式に出るときには今日のこの話を思い出として語れると良い。そう、思う。重ねていくことの難しさは知っている。知っているけれど、だからこそ願うのだ。
始まったばかりのこの年が、良い年でありますように。
差し込む日の光で暖かくなった室内で、イルカは祈るようにそう思った。
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