帰り道が好きだ。
月が傾き始めた道は人通りはなく、自分が誰であるのかわからない顔も見えない
外灯の少なさは心もとなくも気兼ねなく彼と歩ける。
だから行きでは他の人たちで溢れていて躊躇するようなことも。
自分がいわんとしていることが、教育的によろしくないというか道徳的に望ましくない
言動だからというのもあるが、語れるのだ。
その分に帰り道は見知った人で裏道を通るし時間帯からも自分たちだけで
開放的になってしまう。
あの時は何について話していたか定かでない。
ただチョロイのチョロくないだのを言っていての発言だったと思う。














“赤子の首を捻るより簡単ですよね。”













自分の手首ほどしかない赤ん坊の首を想像しながら、
気をつけねばならないと左側に微かに歪んだ口角を上げて同意を求める。
常套句に少し手を加える、のは常用句。
物騒なコトをと言いながらもと笑う友人に、いっちゃあ真剣味が足りないですよと
軽くたしなめる。
その茶化しにも気を良くしたのか、でもと加えられた。













やりそうだよな















                                           
きみなら
                                                        (信じてしまう)











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