王子とSP・4

良く晴れた気持ちのよい早朝。中庭に面している回廊に、まだ柔らかな光が差し込んでいる。1時間もしないうちに、この光は肌を刺す強烈な紫外線となって降り注ぐ。被り物をしないで日光浴できるのは、まだ太陽が低い位置にあるこの時間だけだった。
とある中東の国に、王女として生まれたマリナ・イスマイールは、大学が休みに入った為、家族の待つ故郷へと帰省していた。母はもうこの世にはいないが、父王と、半分だけ血の繋がりのある兄と弟がいる。三人とも母は全て違う異母兄弟ではあったが、父王の方針によって兄弟は皆一緒に育ち、各々の母の名前に「ママ」をつけて呼び、皆それぞれに可愛がられて育った。
そのマリナが、一番愛しく思っているのは弟の刹那。
少し年が離れていた為、マリナは母親気分で小さな弟の世話をした。だから刹那と一番仲が良く、王宮にいた間は、いつも一緒に居たと言っても過言ではない。
ある夜、刹那の姿が見えないと騒ぎになった。
女官や護衛達が王宮中探して、それでも見つからずに一晩が過ぎた。
夜が明けて、これはもう誘拐だと誰もが信じていた矢先、緊急事態だとマリナを起こしにいった女官が、マリナのベッドにもぐりこんでぐっすり眠る、小さな王子を発見したのだった。
どうやら、夜中に目が覚めた刹那が自室を抜け出し、こっそりマリナのところへ行ったらしい。
どうして自分のベッドに居なかったのかと尋ねられると、刹那は目を擦り乍ら、『姉ちゃまの傍がいい』と答えたという。
以来、「刹那王子を探す時は、マリナ王女を探せばよい」という不文律が、王宮内で出来上がった。
カーテン越しでも、刻一刻と明るさを増していく陽光で目を覚ましたマリナは、起きて身支度を済ませるとキッチンへ向かった。
王宮に帰ってくると必ずする事----それはアレハンドロと刹那の朝食を用意する事だ。
年が離れていても仲の良いこの異母兄弟達は、一人しかいない妹と姉を殊の外愛していて、せめて朝食くらいは一緒に、とねだる。
刹那とは夕食も一緒だが、長子のアレハンドロが「刹那ばかりずるい」と子供の様に拗ねる為に、自分が二人の朝食を作ることを提案してみたのだ。二人の喰いつきはマリナの予想以上で、特に、目尻を下げて喜ぶ兄の顔を国営放送で流したら、余りの妹馬鹿っぷりに国民が呆れかえるに違いなかった。
マリナにしても内心で、(こんな状態でお兄様はお后を迎えられるのかしら…)と、未来の王妃を心配する程に。
刹那にしてもそれは同じだったようで、『兄上、いつまでも姉上ばかり見ていると結婚できない。もう30過ぎているんだから』と、感情に乏しい表情で酷く冷静に突っ込んでいた。
アレハンドロはそれに対し、若干頬を引きつらせながら、『だ、大丈夫だとも!可愛い妹は妹、后は后。ちゃんと区別するから、心配は要らない』と、本当かどうか疑わしい返事を返していた。
(これでは絶対、お兄様がご結婚されたら王宮には戻れないわ…)と、マリナは一層強く家から自立することを決意したものだった。
傍から見れば無表情の範疇を越えない刹那も、大好きな姉からの嬉しい提案には、大きな眼を期待で輝かせ、僅かに口元を緩めていた。
この場面を刹那のSPであるロックオンが見たら、刹那の頭と尻に、犬の耳と尻尾が見えたことだろう。恐らくその尻尾は、今にも千切れて飛んでいきそうな勢いで、ブンブンと豪快に降られている筈だ。
そんな兄と弟の為に、マリナは今朝も朝食を作る。幼児教育を専攻しているので、大学では食事や栄養についても学んでいる。自炊生活で家事も一通り出来るようになったからこそ、こんな事も出来る。父王の反対を押し切って良かったと、マリナは今更乍らに思うのだった。

キッチンに入ると既に先客が居た。
栗色の髪と美しいブルーグリーンの眼を持つSP、ロックオンだった。
ロックオンは背もたれのない腰かけ椅子に座り、新聞を読みながらトーストに齧り付いている。気配に敏いロックオンは、背後から近づくマリナに振り返り、「おはよう、お姫さん」と笑顔を見せた。
知り合った当初は『マリナ王女様』とか『マリナ様』、『王女殿下』と堅苦しい呼び方をされたのだが、刹那と二人でいる時のざっくばらんな話し方が新鮮に思えて、自分にもそうしてほしいと持ち掛けたのだ。
一国の王女に対して恐れ多いと、初めは固辞していたロックオンも、『姉上がそう望んでいる』という刹那の援護射撃のお陰で、渋々口調を改めたのだった。
何度か話すうちに同い年ということも判り、ロックオンとマリナはごく自然に、普通の同級生同士のような会話をするようになっていった。
ただ呼び方についてだけはロックオンは譲らず、『お姫さん』とする事で、今度はマリナが妥協した。
「おはよう、ロックオン。今朝は何?」
「今日はコンチネンタルブレックファースト…と洒落こみたいところだけど、バタートーストとサニーサイドアップ、マッシュポテトとコーヒーの代わり映えしないメニューだよ」
「素敵ね。マッシュポテトは私も好きだわ、美味しいもの」
「お姫さんは好みが庶民派だなぁ」
「だって、自分で作るとなったら毎回手の込んだ食事なんて作っていられないわ。一人だと食べる量も少ないし、如何に少ない手間と品数で栄養バランスの取れた食事を作るか、講義の最中もメニュー考えてるくらいよ」
「流石、将来の幼稚園の先生だな。あちち、で、今日の王子と殿下の朝飯は何?」
淹れたてのコーヒーをすすりながら、ロックオンはマリナに尋ねた。
「パンケーキにするかフレンチトーストにするか迷っているの。あとはサラダとスープ、刹那にはフレッシュジュースと兄様にはコーヒー。ロックオン、貴方はどちらがいいと思うかしら」
エプロンを付け乍ら、マリナは宙に視線を飛ばして考えている。その様子に、ここの王宮は随分と庶民的で、居心地がいいなと考えていた。
勿論、伝統やしきたりはきちんと次代に繋げるものとして大切にしているが、他の国々の良い部分を取り入れることに否やはない。
大昔の中東の国は、宗教的な背景が色濃く反映されている国ばかりで、戒律も厳しく血で血を洗うような事も日常茶飯事だったと聞いていた。
国と国との壁が取り払われ、時代に合わせた戒律に変化させることを取り入れた改革者の英断が、王宮の人々の考え方も変えていったのだと、学生時代の歴史の授業で学んだ記憶がある。ロックオンは今、それを目の当たりにしているのだった。
「…ロックオン?どうしました?」
思考を中断されたロックオンは、マリナの問いかけの返事をまだ言っていないことに気付き、一頻り考えて言った。
「卵とミルクは王子に必要だからどっちでもいいんだけど…個人的趣味で言えばフレンチトーストかな。後はフルーツとヨーグルトがあれば完璧」
「あ、そうね。フルーツはヨーグルトがけにしましょう。じゃあ今日は貴方のアドバイスに従って、フレンチトーストにするわ。ありがとう、ロックオン」
「どういたしまして。王子を起こしに行くのは何分後がいい?」
現在の時刻は6時を少し過ぎたところ。マリナは壁掛けの時計に目をやり、「じゃあ六時半に」と言った。
「殿下はどうする?」
「兄様は私が叩き起こすわ。昨夜も遅くまでお友達と出掛けていたようだから、きっと二日酔いでしょう。もう若くないのだから、いつまでも遊んでいられないもの」
確か王太子は30代前半だったと思うが、妹姫の辛辣な言葉にロックオンは己を省みた。
自分もきっと、自堕落な生活をしていたら、亡き妹にこっぴどく叱られたことだろう。不運な事故で、両親と妹を一度に失う経験を持つロックオンだった。
そして、アレハンドロの友達と言ったら、自分も刹那もよーーーーーく知っているあの男だろう。
以前刹那から、『学生時代、兄上はアリーと隠れてやんちゃばかりしていた』と聞かされたことがある。世間の話題には上がっていないので、法を犯すような事ではないのだろうが、相手が相手だから知らずに苦笑が浮かぶ。
(おっさん、若気の至りで何やらかしてたんだか…)自分の体術師範でもある大柄で赤毛の男を脳裏に思い浮かべ、ロックオンはマリナに聞こえないようため息をこぼした。


只今の時刻、午前7時丁度。
ダイニングテーブルには、あちこち寝癖をつけたままの刹那と、案の定二日酔いで半分死んでいるアレハンドロ、二人の前の席にマリナが座っていた。
「さあ、召し上がれ」
マリナの言葉に刹那が行儀よく「頂きます」と言った。アレハンドロも蚊の鳴くような小声で「頂きます」と呟いた。
「兄上、聞こえない」
「…頂きます!う、痛い…頭に響く…」
「自業自得よ、お兄様。いつまでも若いふりして飲み歩いていないで、落ち着いて下さらないと私達が困るわ!兄様は王太子なんですから、しっかり自覚をお持ちになって」
「マ、マリナ…分かったから、もう少し小声でお願いします」
「私が王宮に居る間、また二日酔いになっていたら、もう兄様には朝食作りませんからね?その心算でいらしてね、お兄様」
「兄上、すまない。今後、姉上の作ってくれた食事は、兄上の分も俺が一人で食べることにする」
「そんな~~~~、私にも作っておくれ、妹よ~~~あああ痛い~~~~~!」
痛む頭を抱え、情けない姿を妹と弟に晒す王太子アレハンドロ。刹那とマリナは顔を見合わせ、声に出さずに笑いあった。
「姉上、フレンチトーストとは美味いものなんだな」
「そうでしょう?味はプリンみたいよね。卵とミルクを使っているから、普通のトーストよりも栄養価が高いの。気に入ったのなら、また作ってあげるわね」
「じゃあ、学校から帰ってきたら、おやつにまた作ってほしい」
「ええ、いいわ。でもちゃんと真面目に勉強してきて、宿題もきっちりやらないとダメですからね」
「う…分かった、姉上がそう言うなら、ちゃんと、する」
「いい子ね、刹那。…兄様も、少しは刹那を見習って」
「・・・・・・・・・・」
今朝の食卓は、長兄を苛める妹と弟という図式で彩られた。



生き恥を晒した甲斐があったというもの。感謝するぞ!
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