『北の街スイッチバック』 「いや、リゾートに行くわけではないんだが」 「知ってますよう。でも、それ以外に選択肢はないです。指定席券も経費に含めて大丈夫ですよ!」 そこは心配していないが、と言いながら、山科楓は時刻表と路線図を眺めた。 ……確かに、他に選択肢はなさそうだ。30minないしは1hに1本の運行状況では仕方がない。リゾートの名を冠した快速列車を旅程に加える。主な公共交通機関たる鉄道はインフラだが、この頻度と走行距離からして、おそらく黒字化は難しいだろう。こんな路線を抱える地方に資本主義は無情だ。 「それをリゾートとはね……N駅まででいいかな?」 「あ、東N駅にしてください。そっちの方がうちには近いです」 そうなのか、と改めて地図を見ると、目的地のひとつ前の駅は、妙な路線図を描いている。これは…… 「は? スイッチバック?」 楓の言に、通話の相手、卒業生の加納が「あはは」と笑い声を立てた。 「そうなんですよ。そこで方向転換しはるんで、寝過ごす心配はないです」 「まじか。登山鉄道以外で初めて見るな」 「あー、そうですか。せやったら、貴重な経験が2回できますよ」 「はっ?」 「ま、来はったらわかります。気を付けていらして下さい」 なんだそれは、と楓が思っているうちに、加納が「さいなら」と通話を切った。 (しかしまあ、こんなところに鉄道を通してくれるとは、感心を通り越して畏怖に値するな。) と、Webサイトに出てくる路線の風景に感服する楓である。もちろん被写体としての興味も大きいが、彼と付き合ううち、立派にノリテツとしての素養も育っている。正直、仕事とは別に楽しみだった。いつか、彼のオフシーズンか……引退後か……旅に出るのも良いのではないか。 そんな殆ど物見遊山な心持ちで、早春の出張予定を立てた楓だった。 の、つもりだったのだが。 「寒いな!?」 東N駅に降り立った楓は、迎えに来てくれた加納にまずそう言っていた。 「そりゃそうですよう、冬ですから」 のほほんと加納は答えるが、3月初旬は春の部類ではないのか、と抗弁してみた。 「東京は来週桜が咲くぞ?」 「ここで咲くのはGWあたりやないですか」 OH…! と、無駄なリアクションをしてから、楓は改めて周囲を見渡した。白から浅縹色のグラデーションの空は玻璃のようで、思わず目を細めた。冬の日本海は柔らかに晴れ渡る日が殆どなく、こんなに良い天気の日は久しぶりだ、とは加納の談だ。それなりに春が近付いている、ということだろうか。 そして見事に何も無い。空も広いが、そもそも視界に収まるものが少ない。駅前がこの空洞でいいものなのだろうか? と呆然としていると、「センセ、都会っ子ですもんねえ」と加納は笑う。 「街の機能は鉄道やのうて、国道とか高速とか道路の方に集中しはります。地方の宿命ですねえ」 マクドもそっちにはありますよ、と軽口をたたく青年に頷くしかない。資本主義では人口に比例して地方の交通インフラは脆弱化し、車社会になるものだ。 「でも鉄道としてはこの駅、非常に重要なんです!」 と加納が力説するのも訳がある。件のリゾート快速列車、本来の起点はこの駅であり、奥羽本線と五能線の両線が乗り入れている場所でもある。そして、ノリテツたち垂涎といえば、 「転車台なんて、もうそうそうないですよう」 「まだ現役なのか…!」 楓は加納と連れ立って、ただの空き地に見える線路脇の転車台を眺めた。転車台とは、車両の方向転換を行う装置、というとシステマティックに聞こえるが、平たく言えば機関車や自動車を載せて回るテーブルだ。多くは運転台が一方にしかない機関車をぐるんと回すために使われていた。前と後ろ、二方向に運転台を設ける車両が主流になった現代では、もうなかなか見ることもない。 東N駅にあるJR東統括センターの端、その姿は威風堂々、とはいかず、ひっそりと佇んでいた。もう季節運行のSL用にしか使われないそうだが、十二分に高揚する。楓も転車台は梅小路のデモンストレーションでしか見たことがないので、実用される姿は憧れである。鉄道ファン以外には忘れ去られたその風情にも、むしろ味があった。楓の贔屓目だ。 さて、この駅に転車台が存在し、方向転換がされる場所ということは。 「そうだ、わかったぞスイッチバック2回!」 「あー、どうでした、こまち」 秋田新幹線は始発終着の秋田駅の大曲駅でスイッチバックを行う。配線の都合ということだが、ひと区間ながら超特急で進行方向を変えるなど、掛かる手間を考えると衝撃的だ。とはいえ、最後のひと区間は居住地域側を通る区間が長く、速度は出ないし、わざわざ座席の向きを直すのも面倒という乗客も多い。 「あの路線に新幹線を通すのは根性だろ、悲願だったのも分かるな。所要時間で云えば空路が速いが、陸路の手軽さには代えがたいからな」 「なんだかんだ言うて、便利ですからねえ、新幹線」 超特急感はなかったが、ミニ新幹線特有の在来線に近い風景は旅情があって好ましかった。 今回、楓は別件と帰省を兼ねて東京を経由し、東北新幹線を使用したが、本来、京都から秋田への移動であれば空路もある。陸路も以前は特急寝台特急日本海が日本海側ルートをカバーしていたが、ブルレイ廃止の潮流で絶えてしまった。日本海からの風景は、奥羽山脈を通るこまちとはまったく違っていただろう。 間に合わなかったという感覚を抱いて、楓はスタート地点だというのに喪失感を味わってしまった。これではいけない、と頭を振って、加納の車に乗り込んだ。 「どうだい? こちらのプロジェクトは」 「ああ、そっちは想定より順調で無問題なんですけど、問題は雪かきで」 「そこかあ」 加納の言に思わず頷いてしまう。 K大理学部物理学科津川研の卒業生である加納は、先年、無事に博士課程を修了した。その上、なんとか某大学に職を得た。基礎研究を生業にしていると、どうしても間口が狭くなることを考えれば僥倖である。そうして、生まれ育った関西を出て大学を移った加納だったが、就職先が宇宙航空研究開発機構(通称J▲XA)との共同研究を行っていた縁で、半年前からこの北の街に派遣されている。あそこは宇宙屋ばかりか一般にもファンがいる団体で、就職もなかなかの難易度だそうだが、こういうルートで関わる事もある。 しかし、まさかの雪国暮らしで、うっかり愚痴も出そうなところだが、 「まあ、これも経験ですし、縁ですねえ」 と、加納はのほほんと応える。忍耐強さは美徳である。 「とりあえず、ここは個体の米も液体の米も美味いです!」 液体って、と楓も笑っていると、視界の先に海岸線と実験棟らしき建物が見えてきた。と、その海岸沿いにずらりと並ぶ巨大な影に「おっ」と思わず声が出た。 まるで、白い巨人のような 大きな羽を持つ、白い風車だった。 秋田は風力発電の国である。まごうことなき雪国だが、海岸沿いの地域は年間を通して日本海から強い風が吹き、降雪量も比較的少ない。そこに電力の自由化、国からの開発資金の支援、地域活性化、多くの要素を孕んで風力発電が発展し、既に風車の数は国内一を誇るという。現在は陸地だけではなく、洋上に風車を建設するプロジェクトも進んでいるというから、その発展ぶりが窺える。 おかげで、秋田から新潟の海岸線ではこの白い巨人の姿を目にすることが多くなった。海から居住区域を守るために植えられた黒松が『風の松原』と呼ばれるこの街も例外ではなく、等間隔に林立する風車の威容に楓も息を呑んだ。その風車街道を横目に、目指すロケット実験場があった。 「エンジンの燃焼試験は週末だったか?」 「そうです。今日はプレで、本番は金曜日ですね」 いま向かっている実験場では近日、小型固体燃料ロケットのエンジン開発のための燃焼試験が予定されている。ちなみに、楓の出張はそれとは無関係で、加納の縁で行われる実験場の職員を対象とした公開講座の講師である。本来はもちろん津川教授が担当するはずだったのだが、運悪く入学試験担当とバッティングし、代打に楓が指名されたのだ。 そこで日程を調整した結果こうなったのだが、あわよくば燃焼試験に臨場したいという野望があったのは否定できない。こんなチャンスはそうそうない。 それと、今回の訪問にはもう一つオマケがあった。 「実は、N実験場に元同級生がいるんだ、T大時代の」 「ええっ、ほんまですか!」 「ああ。就職してから種子島、筑波と、一時期、アメリカにも行ってたはずなんだが」 へえええ、と加納が運転席で大げさに嘆息する。楓はスマホを出そうとして思い直し、ノートPCを取り出して、元同級生の情報を呼び出す。所属を確認しようとしたのだが、アドレス帳の情報は筑波時代のものだ。メールの署名の方が確実か、とメールボックスを探っていると、加納がわくわくと訊ねてくる。 「どなたです? それほど大きな施設やないですし、知ってる人かも」 「ああ、そうだな、あいつ目立つからなあ。プロジェクトが違っても分かるかも」 「目立つんだ……」 と、おののく加納に、あれは立派なアイコンだよな、と応えた瞬間だった。 ドオン!! 大きな音に、車体が震えた。 「はっ?」 「なに?」 ふたり、咄嗟に声が出る。海沿いにある実験場に続く道は運良く他に車がなく、加納はブレーキを掛けた。シートベルトはしているが、楓は車内の手すりに摑まってGに耐える。見渡すと、視界の先、風車が立ち並ぶ海岸線で、おそらく実験場がある方角から黒い煙が上がっていた。 「あっちだ!」 楓が指示するまでもなく、加納が周囲を確認しながらハンドルを切る。 「あそこは?」 「し、真空燃焼試験棟です」 やはりか、と、楓は口にはせず唇を噛みしめる。燃焼実験の試験棟は、実験場本体から少し離れた場所にある。さすがに周囲には何もないエリアだが、あれだけの爆発音と衝撃だ。通りがかりか近所の住人か、車を止めて空を見上げる人々もいた。試験本番ではないので、報道関係者がいないのが不幸中の幸いか。 加納も適当な位置に車を止め、スマホを取り出した。おそらく実験場のスタッフと連絡を取るのだろう。非常線を張るのは消防になるだろうか、警察か。それでも部外者が近付くことがないよう、楓も車を降りて様子をうかがった、が、 バアン!! と、再びの爆発音と共に、空気が弾けた。試験棟の屋根が吹き飛ぶ。楓は手を顔の前に翳した。風圧が来る。 目を眇めながら顔を上げると、風車と風車の間に、今度はオレンジ色の炎も見える。現場から吹き上がる黒煙が薄青い空を覆っていく。淡く美しい天蓋に、不吉な。 「爆発が続く恐れがあります! 皆さん、できるだけここから離れて下さい」 反射的に見物人に警告しながら、楓は再度、振り返る。電話連絡を終えた加納が、そのまま現場の撮影を始めた。事故の重要な記録になるだろうが、周囲の野次馬達も同じように、各々が手にした端末のカメラを向けている。なんとも……異様な光景だった。 また、いくつかの小規模な爆発を起こしながら、試験棟が燃えていく。楓は人的被害がないことだけを祈る。 空を覆う黒い煙、勢いを増す橙色の炎、そして地表に無関心なまま海を睥睨する白い巨人。 「あっ」 加納が小さく声を上げた。 空から舞い落ちる、白い……これは雪、か。雪雲は見当たらないが、ちらちらと雪が落ち始めていた。 楓は手を伸ばし、その白いものを摑んだが、手を開いてみても何もなかった。 止めどなく立ち上る煙は黒から灰色になり、雲に溶けていく。 それを隠すように、海風に乗って風花が、舞う。 続く 1/8(↓もっと送るボタンをクリック) |
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