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                 『あなたの知らない世界』

  のたりとした風が寝苦しさを運んでくる、そんな夏の夜のこと。

「……番兵が振り返ると、闇の中にふわぁりと浮かび上がったのはなんとあの白い貴婦人」
「ややややめろおおぉッ」
 広い部屋の真ん中に、ぐるりと円を描くようにして集まったのは騎士見習いの少年たち。
 蝋燭の灯で不気味に顔を照らし、身振り手振りを交えつつ、故郷に伝わるおどろおどろしいはなしを披露する仲間の声をさえぎったのは、真っ青になった生真面目少年の悲鳴でした。
「だめ。俺そういうの金輪際、全然、まったくだめだからッ」
 枕をきつく抱きかかえ、両目に涙を浮かべてぶるぶると震える姿ときたらありません。
「なんだよヴァルター、せっかくいいところなのに」
「おまえ、いつも魔物には容赦ないじゃないか」
 話の腰を折られ、口々に不平をのべる仲間たちに、それとこれとははなしが別だと生真面目君は主張します。
「この世に未練をたっぷり残して、うらめしそうな顔で暗いところをふらふら、ゆらゆら行ったり来たりしてる奴らのほうがもっと怖いッ」
 鋭い牙や爪を閃かせ、禍々しい姿そのままに砦や町を襲う魔物たちのほうがもっと怖いだろうがと、少年たちの誰もが呆れたのですが、
「ふん、その程度か」
 どこが怖いんだと、生真面目君を鼻で笑ったのはとねりこ館のわがまま侯子でした。
「よくあるはなしじゃないか。切り落とされた首を抱えてさまよう王妃の幽霊とか、ダマスクスで死神に出遭った商人の」
「だからやめろってッ」
 おまえみたいに図太さが服を着て歩いてるやつばかりじゃないんだぞと睨む生真面目君に、わがまま侯子が眉をつり上げました。
「由緒正しきとねりこの侯家は、この手の言い伝えには事欠かないんだ」
「よく言うぜ。幽霊が出たって鼻息で吹き飛ばすくせに」
「なんだと」
「やるか」
 一触即発の事態と化したふたりを、やめろって暑苦しいから、こんなことならこっそり養魚池で泳ぐほうがよかったよと、仲間の少年たちが止めに入ったときです。

「何を騒いでいる」
 鞭のような声に、少年たちがぴたりと騒ぎを止めました。見れば入口の扉が開き、黒髪の騎士が厳しい表情で立っているではありませんか。いくさ姿に身を固め剣を帯びているところから、どうやらまだ任務が残っていたようです。
「就寝時刻はとうに過ぎているぞ」
「も、申し訳ありませんエクセター卿」
「俺た…いえ、僕たちどうにも暑さで寝つけなくて」
「誰かの仏頂面でさらに暑苦しくなったけどな」
 余計な一言を放ったわがまま侯子へ、いくつもの枕が勢いよく投げつけられました。
 いえこいつは何も言ってません、僕たち何も聞いていませんようとばかりに清々しく笑ってごまかす少年たちに、黒髪の騎士は遠い思い出を刺激されたようでした。
「怪談か」
「は、はい。暑いときにはもってこいだと思いまして」
「ですがヴァルターが、そのたびに大声で怖がる始末で」
「やっぱり怪談より、こっそり養魚池で泳ぐほうがよかったかなー…なんて」
「ばか、言うなッ」
 ぽろりと本音をこぼし、慌てて何でもありませぇんと口をそろえる彼らに、黒髪の騎士は思わず天を仰ぎました。ああまったく、いつから砦の騎士見習いは養魚池で泳ぐのがならいとなったのでしょう!
 けれどもそこは年長者です。かつて己と友たちがたどったあやまちを、後輩諸君にくり返させるわけにはいきません。「遊泳禁止」「飲食禁止」「焚火禁止」「戦闘禁止」と、養魚池の周りへ林立する立て札を、これ以上増やすわけにはいかないのです。
「そうか」
 ならばいっそ、もっと怖いはなしをしてやろうと黒髪の騎士は少年たちを見渡しました。
「えっ、ほんとうですか」
「頭から布団をかぶって震えるようなやつがいいです」
「ややや、やめてくださいよギルバートさま」
「どうせ首無し騎士とか、そんなものだろう」
 枕の山から這い出し、聞き飽きたとばかりに小馬鹿にした表情を浮かべる愛すべき弟子に、とっておきだぞと黒髪の騎士は念を押すと、そうっと声を低めました。
「…………俺はむかし、一度だけ副団長が笑うのを見たことがある」


              ◆ ◆ ◆


「エクセター」
 鋭く呼ばわった副団長に、黒髪の騎士は御前にと応じました。
「小僧どもは」
「寝ついたようです」
 若い騎士のいらえに、老いたる灰色狼は少年たちが起居する一画へとまなざしを向けました。
 さっきまでやかましい声が響き渡っていた部屋は、今ではひっそりと静まりかえっています。時々おかあさーんと震える小さな声や、しくしくとすすり泣きが聞こえるようですが、たぶん気のせいでしょう。
「何をした」
「怪談を」
 大まじめに答える黒髪の騎士に、副団長はめずらしく感嘆する様子を見せました。
「さぞ怖ろしいらしいな」
「思い出すたびに背筋が凍るほどです」
 俺とリシャール、サイモンとウルリックは特にと心でつけ足した若い騎士。
 何しろ、この砦とふもとの町で過ごした青春の日々。誰もがそろいもそろって、副団長の雷と鉄拳を食らわぬ日はなく、騎士団長や奥方さまのとりなしを受けぬ日はなかったといっていいくらいでしたから。
 たしかあの時はと、四人でひしと抱き合いがたがたと震え上がるに至った老いぼれ狼の笑まいを、黒髪の騎士が思い出しかけたときでした。
「俺にも心底恐るべきものがある」
 灰色の双眸を遠くに向けて、副団長が静かにつぶやきました。
「騎士団長との腐れ縁ですか」
 まさかこの御仁が魔物などとはおっしゃるまいと確信し、へたな冗談で応じた若い狼に、灯火を映した老いぼれ狼のまなざしが一瞬笑いを閃かせました。
「女だ」


 さて、翌日。
 いつもならば、日が昇ると同時にやかましく騒ぎはじめるはずの少年たちが、寝不足のままよろよろと仕事をしている姿に、まあなんて不気味なのと乙女たちが怖ろしげに声を上げました。
「レオとヴァルターが黙って働いてるなんて」
「槍でも降るんじゃないかしら」
 たいへん正直に思うところをのべる金髪娘と赤髪娘に、
「そういえばギルバートも、ゆうべは眠れなかったみたいです」
 何かあったのかしら、と案じながら聖女さまが応じました。
「お化けでも出たのかしら」
「あら、ギルバートさまじゃお化けのほうが逃げていきますわ」
「じゃあ羊でも出たのかしら」
 副団長のからかいにあわてて退散したものの、放たれたことばの意味がどうにも気になり、任務を終えてからも悶々と考え続けて一夜を明かすはめになった若い騎士の懊悩なぞ知るよしもなく。
 あとで何か元気の出るものを持っていってあげましょうと、お化けや羊よりも手ごわい乙女は、たいそうのんびりと笑うのでした。
(Fin)


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