夜明けの薄闇に、突如アラーム音が鳴り響く。


静謐な時間を終わらせることに何の躊躇もなく、厳正な審判者のごとき絶対的な正義と力とをもって、それは朝の到来を高らかに告げた。

まどろんでいた涼介もこれにははっきりと覚醒させられた。

枕元に置かれた拓海の携帯電話が、鳴っていたのである。

やがて隣からのろのろと裸の腕が伸ばされて、自分を呼ばわり続ける声を、ようやく黙らせる。



最後は意識を失うようにして、拓海はやっと眠ったばかりだ。

それは半ば、涼介のせいでもあるのだが。



 ごめんなさい。

 配達、遅れないようにって。

 俺、目覚ましないと起きられないから。



けたたましい音で涼介を起こしてしまっただろうことを、嗄れた声がすまなそうに詫びる。

まだ夢見るような目を、眠そうに瞬かせて。

その頬や唇に、夜の余韻を色濃く残したまま。



明けきらない朝の寒さに、裸の肩をふるわせた。



真夜中の峠で、猛然と迫る挑戦者たちを次々と降(くだ)し。

絶対的な速さはしなやかに、したたかに、驚異的ともいえる進化を続ける。

涼介でさえ、正確には拓海をはかり知り得ない。

かつて彼をも呑みこんだ、それほど巨(おお)きな力を持ちながら。



甘いまなざしが、涼介を誘う。



愛機とともに勝利をほしいままにする拓海の走りは、まるで麻薬のように男たちを虜にする。

たとえ膝を屈した者でさえ、魅入られてしまうのだ。

男を誑かす蠱惑は一度味わえば忘れられないだろう。

焦がれて、追いかけて。

そして手に入れたいと、願う。

自分もその一人だと、内心自嘲しないでもなかったが。



誰にも渡さないために。

涼介の取った手段は卑怯でもあっただろうか。




たとえば雛が親鳥に向けるような絶対的な信頼を、巧みに愛へと変質させたのだから。







「帰さない」



予想もしなかった言葉に、拓海は素直に驚いた顔をする。



「そう言ったら、どうする」



驚きが、迷いに変わる。

拓海にとって涼介の言葉は絶対に近い。

拒む選択を拓海は持たない。

知りながら、ホームコースを日々走る価値を、秤に掛けさせた。

それはつまり、走ることと涼介のいずれかを選ぶことに等しい。



すぐに冗談だと打ち消すと、安堵の表情が浮かんだ。



まったく馬鹿げた問いだ。

どうかしている。



だが、半ば本気だったことも事実なのだった。

まるでもの慣れぬ初心(うぶ)な悋気は、児戯めいてさえいる。


我ながらたしかに稚気が過ぎると、涼介自身が可笑しくなった。

堪えきれず笑い出した涼介に、拓海はまたも困惑する。



何がおかしいのかと不審顔の拓海に、なんでもない、とだけ囁いて。

涼介は拓海を寝乱れた髪ごと、胸に抱き寄せた。




ふと拓海の携帯電話が、目に入った。

使命は終えたとばかり今は黙したまま、澄まして主(あるじ)を待っている。

短い逢瀬の終わりを急かすように正確に刻む時間表示が、涼介にはいまいましい。

だが。



デジタルの明け烏を恨んでも、詮無いことだ。





















 ――――― 三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝がしてみたい     (作者高杉晋作と伝わる都々逸)





















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