冬の熱



 冬の寒さは気付けば深まっている。少し前までそろそろ肌寒くなってきたな、などと悠長に構えていたのが、いつの間にかコートが必須の季節になった。吹く風の冷たさも強さもぐんと増し、肌を突き刺すようにぴりぴりと痛い。剥き出しの顔はあっという間に冷たくなって、服に守られているはずの部分さえ知らぬ間に熱を奪われている。何となく周りを見ると、皆どことなく身を縮こまらせて足早に歩を進めていた。頭上の空は厚く灰白色の雲に覆われている。そう言えば天気予報では雪が降るかもしれないと言っていたか。
 試しに息を吐いてみた。日中だからか、白くはならない。
 その時突然向かい風が激しく吹きすさび、身を叩く冷たさと痛さに勾陣は思わず肩をすくめた。

「……寒い」

 小さく愚痴ると横合いから苦笑の気配が届く。仕方ないだろう、と雄弁に語る彼の空気がどことなく腹立たしい。寒いものは寒いんだ仕方ないだろう。
 本性の時は寒暖など特に感じないからか、人型を取り、人と同じ感覚を有するとどうにもそれが煩わしく、さらに軽く愕然とする。難儀だろうなと長く他人事として無責任に思ってきたことが自分の身に降りかかると思っていた通りに面倒くさかった。自分の意志で人型を取っているため誰かに文句を言う筋合いはないのだが、独り言のように寒さへ文句を言うことくらい誰かに咎められることでもあるまい。

「晩飯、少し早めに用意するか」

 のんびりと紅蓮が呟いた。左手に提げたスーパーのビニール袋が、がさがさと風に煽られては揺れて安っぽい音を立てている。今夜は鍋にするということで、野菜やら肉やら色々買い込むのを、ただの気まぐれで勾陣も付き合った。今、勾陣は自分の気まぐれを軽く後悔している。こんなに寒いなら家で本でも読んでいる方がよかったかもしれない。荷物持ちがいるほど大層な買い物でもなかったのだし。重量のある野菜は全て紅蓮が受け持ってくれて、取り敢えずこれは持ってくれと渡されたのは菓子やらティーバックやらかさ張るだけで重さなどないに等しいものばかりだった。

「昌浩にもそろそろマフラーくらい出してやるべきだろうなぁ。まだ我慢できる、だそうだが、今日あたり騒ぐだろう」
「一気に寒くなったからな。昌浩にとっては登下校より稽古の方が真剣にきついんだろうが」

 そればかりは仕方がないし、その適度でぶーぶー文句を言うほど昌浩はお子様ではない。

「小学校の時はどれだけ寒かろうが平気で外に出ていたくせに」
「それは昌浩だけじゃなくて子供全般に言えることじゃないのか? ほら、わりと子供は薄着だ」
「そう言えば玄武も太陰も寒さにはやたら強いしな」

 ここで二人がいたらただの子供扱いに少しばかり不服になるのかもしれないが、ネズミの国ではしゃぎ菓子やら何やらが原因で口喧嘩をしている姿がここしばらくの日常であるので、人間たちからも同胞からも彼らはやはり見た目通りの子供扱いをされている。紅蓮など昌浩に二人の目付役的な役割を頼んだこともあり、それは流石に知られたら抗議くらいされるかもしれない。
 適当に言葉を交わしながら歩く二人を、吹き止まない風が絶えず叩いている。ぴりぴりと針に軽くつつかれた時に似た、むず痒さに近い痛みを訴える頬に空いている右手の甲を当ててみて、頬もさることながら手も随分と冷えていることを自覚した。手に息を吐きかけてみたところで温いのは一瞬で、それどころか一瞬だけでも温さを感じる分だけ次の瞬間からの寒さがより一層染みる。むっと不機嫌そうに眉をしかめた勾陣は、その仕草を横目で眺める紅蓮の視線が微笑ましげなことに気付いて手を横に戻した。
 その一連すらどことなく子供っぽいことのように思えて、勾陣は釈然としない思いを味わった。
 と、ちょっとした腹立ちまぎれの悪戯心から、不意に右手をのばして紅蓮の左手に触れてみた。自分のものより紅蓮の手の方が温い。
 紅蓮が無言で僅かに手を引き、まじろぎながら自分を見ているのには気付いているが、勾陣は敢えて彼を無視して前を向いたままでいる。何かを仕掛けるたびに紅蓮が静かに、或いは目に見えて慌てることはもう毎度のことで、今回もそれを見越してのことだ。面白い反応を期待通り返してくる方が悪い、と勾陣は開き直っている。
 してやったりと少し口角を上げ、勾陣は「騰蛇」と何気なく彼を呼んだ。

「寒い。繋げ」

 紅蓮が立ち止まる。つられて勾陣も歩を止めた。
 紅蓮は苦笑とも呆れ顔ともつかない表情を浮かべながら、もの言いたげに「……命令形…?」と呟いたが、彼女はそれも敢えて聞こえないふりを貫き通した。

「なんだ騰蛇、何が不服なんだ」
「いや、こう…もうちょっと、言い方とかないのか、勾」
「お前は私に何を期待している」
「それお前の台詞じゃないと思うんだが」

 抗議のように突っ込みを入れていた紅蓮だが、やがて昔からの色々なケースを思い出して、ついでにことごとく同じだったそれらの結果も思い出して、諦めたのだろう、呆れの色をどっちつかずの表情に強く宿して小さく溜め息を吐いた。ふん、と勾陣は軽く鼻を鳴らす。千年間変わらなかった力関係が今更変わるとでも思っているのだろうか。

「お前の方が温い」
「あーはいはい」

 どことなく投げやりな返事とは裏腹に、勾陣の手に触れた彼の手つきは優しかった。

「……というか、お前が冷たすぎるんだ」

 すっと低くなった声を不審に思い軽く見上げると、色素の薄い双眸が何者かを責める色を宿していた。「何でこんな冷たくなってるんだ、ったく……」などとぶつぶつ言いながら、紅蓮は勾陣の指の隙間に己の指を滑り込ませてそのままゆっくりと包み込む。少しだけ力を込めて引き寄せられて、先ほどよりも狭まった距離で、しかし触れるのはやはり手だけという距離で、紅蓮が再び歩き始めた。ワンテンポ遅れて勾陣も後を追う。すぐに並んだが、そこまでの一瞬、視界に入った己の手が、彼の大きな手と対比されて、小さく、そして酷く脆いものであるかのような錯覚を受けた。もちろんそんなことはない。この手には力がある。力を以て刃を振るう。しかし紅蓮の手は――或いは、彼の優しさが、勾陣にその錯覚を起こさせる。勾陣にとってはそれだけが唯一腹立たしいことだった。この錯覚さえなければ触れてくる彼の手は完璧なのに。

「思ったんだが、お前が物の怪に変化してマフラー代わりになったら一番温くないか?」

 錯覚を打ち消すための言葉がからかい交じりであることくらい紅蓮にも分かっているはずだが、彼は思いのほか低い声で返してきた。

「…勾、お前にはされるたびに俺がしている抗議は聞こえていなかったのか」
「一回されたら後はもう、誰にされようが何回されようがさして変わらないだろう」
「…………寒いし、早く帰るぞ」

 たっぷりの間を取った後の言葉は会話の流れをぶった切ったもので、勾陣はくつりと喉の奥を鳴らした。勝てない流れはリセットする、くらいは学習しているらしい。強引で拙いのはご愛敬、と言ったところか。紅蓮の顔はどことなく憮然としていたし声も同じようなものだったが、繋ぐ手の優しさは変わらず、それが何となく可笑しくて勾陣はそのままくすくすと笑った。今まで力を抜いていて紅蓮から絡められているだけだった手に力を込めて握り返してやると、歩幅は勾陣に合わせているものの、紅蓮の歩くスピードが少しだけ早まった。ことさらに可笑しみを覚え、勾陣は封じ切れない笑声を零しながら繋ぐ手にもう少しだけ力を込めた。




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