ひみつの朝

 






かき氷のシロップはみぞれと決めている。まっしろの氷に、透明のシロップがかかるとすこししぼむ。その冷たくて無機質なかたまりを口に入れると、すーっとつめたくなるのがだいすきなのだ。

湘南の夏、海辺には祭りでなくてもたくさんの海の家と露店が立ち並ぶ。わたしはその騒がしい店の前で、ひとりの男を待っている。男は流川楓という、湘北高校きっての美男子だ。

「よー」

ぼさぼさの髪に、よくわからないロゴの入った白のTシャツ、ピンクの半パンを履いた彼は、ビーチサンダルをぱたぱたと鳴らしながらこちらに歩いてくる。これだけだとイケメンなのかどうかあやしい。わたしも彼に同じく、よー、と手を振って声をかけた。流川がそのまま目の前の海の家に入ったので、うしろをついていく。

「ご注文は」
「えーとかき氷。わたしはみぞれ」
「かき氷コーラ味」
「はいよ」

流川は心底眠そうにあくびをしている。でもこの時間を指定してきたのは、あくびをしている当人なのだ。
朝の8時、海水浴客はまばらだ。

「朝早くにどーしたの」
「かき氷食いたかった」
「あっそ」

かき氷がふたつ運ばれてくる。彼はいつもコーラ味と決まっていて、この味を置いている店にしか行こうとしない。それを知るのはもうちょっとあとのことだけど。銀の長いスプーンでみぞれをすくうと、氷の山がすこし崩れる。冷たくて甘い。

「つめてー」

大男はすこしだけ嬉しそうに、そのげてもの味のかき氷をほおばる。わたしは流川のかき氷を一口もらったけど、あんまりおいしいとは思わない。それを彼は心底おいしそうに食べる。

「今日の練習ないの?」
「昼から」
「そう」
「おめーは」
「べつになんにも。帰ったらなにしよーかな」

クーラーのない海の家。ぬるい風を送る扇風機の下に陣取ってはいるものの、暑いものは暑い。口のなかと胃だけが冷たく、わたしはさっきの口直しにまたみぞれを食べる。絶対みぞれのほうがおいしい。

流川はあまり感情を表に出さない。以前驚くほどかわいい笑顔を見せたことがあり、不覚にもこれが恋だと気がついた。それでもわたしは流川との距離を変えることはなかったし、気の迷いだったかもしれないと今でも思っている。だってあの雨の日以来、流川の笑顔なんて見たことがないのだ。わたしたちはしずかにかき氷を食べていく。

「ねみー」
「だったら朝じゃなくてもよかったんじゃ? バスケ部のひととかき氷くらい食べたらいいのに」
「あいつらうるさいし。朝のほうが目がさめる」
「はあ」

流川は語彙が少ないというか、とにかく口数が少ない。表情も乏しいので正直なに考えてるのかよくわかんないところがある。昨日も急に電話してきたのだ。

「明日時間あるか?」
「え? あるけどなに?」
「じゃあ朝8時に。湘南の海の家んとこ」
「え? まじ?」
「マジ。じゃ」

うおい。なんにも知らされてないけど。でもあの流川から連絡してきたのだ。行かないといろいろコワイ。わたしはちょっとだけおしゃれしてきたが、別に何にも頑張らなくてよかったかなと感じている。
かき氷はほとんど食べ終わり、すこし溶けてきていた。わたしはその甘いしるをスプーンですくって飲む。

「ね、よかったら食べない?」

お店のおじさんが声をかけてきた。真赤のかき氷。どうしたんですか、と聞けば、注文したお客さんがどこかへ行ってしまったらしい。かき氷はすこし時間が経っているようすで、ちょっと溶けかけている。
サービスだよ、というのでありがたく頂戴した。一つのかき氷を流川と分けて食べる。彼は普段食べて慣れていないような味なので、甘い、と言いながら、それても手を止めない。わたしは何口か食べたけど、のこりは全て彼にあげた。

「いちごもうまいな」
「意外と甘いのも食べるんだね」
「まーな」

かき氷をほぼ二つ完食した流川は、すこしだけ満足気にみえる。

「行くか。今日はおごってやる」
「あら太っ腹。サンキュー」

そう言って伝票を持って出て行った。わたしも店を出る。会計を済ませた彼は、迷わす日陰に向かって歩いた。まだ朝早い時間なので、良いポジションがある。昼間ならここも太陽にさらされるだろう。

「ここ座れよ」

指定された彼の横に座る。ブロックのようなものの上だ。

「急に悪かったな」
「別にいーよ。かき氷おごってくれたし」
「そーか」

ちょっとだけ目が覚めたようすの流川だけど、また大あくびをした。いちごを食べたから、下がまっかである。それにふふ、と笑うと、彼はムッとした顔をする。

「なに」
「べろまっかだよ」
「おめーもだろ」

そりゃそうだ。かき氷とはそういう運命である。 流川が舌を見せろというので、べーと出して見せれば、ほらやっぱりおめーもだろ、そう言って笑った。ほんのりと、そのうすいくちびるが赤くなっていて、それがまたわたしの心を揺さぶった。やっぱりその顔、反則だ!

「はいはい、ほら、目的達成したでしょ、帰るよ」
「まだ終わってない」

帰ろうと立ち上がれば、手首を掴まれる。流川は真剣な目つきをしていて、もう一度、まだ終わってないと言った。

「あともう少し」

握る手の力が強くなる。もう少しここにいろ、どうやらそういうことらしい。分かったから。わたしは隣に座り、彼に手をはなしてくれと頼む。けれど流川はわたしの手首を掴んだまま、はなそうとしない。このままだと、わたしの鼓動が早くなっていることがバレる!

「…早えな」

流川がぼそりとこぼす。ああ完全にどきどきしているのが伝わった。そう思うと今の状況が恥ずかしくて死にそうだ。わたしはじぶんの膝に顔を埋める。流川は何も言わない。無言がしばらく続いて、気になってすこしだけ顔をあげて彼の方を向けば、きらきらしたあの笑顔を向けている。

「俺も」

わたしのてのひらを自分の胸に押し当てる。わたしと同じくらい早い鼓動。どきどきして、お互い真っ赤になって、暑くてたまらなかった。ぎこちなく肩を引き寄せられて、その赤のくちびるを寄せられる。うすく甘い味がした。










ひみつの朝










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