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ただくり返される日常は本音と建前と純粋な嘘で絡み合っていて私にはひどく息苦しい。
みんな笑顔で、この小さな世界で生きていくための手段を必死に勝ち得ようとしてる。
無意識のうちに自分の居場所を探して、ここにいてもいいという証拠を築き上げようと人は複数になる。
そうしていくうちに私たちは一人ではいられない生き物になった。
人は一人では生きられない、だから群れを成す。
それなのにこの世で一番理解できないものが他人というものだから皮肉なものだ。
理解できないものを求め、近づこうと努力する。
けしてわかることはないと本能でわかっているのに。
求めずにはいられない。
離れることもできない。
それなのに群れはひとつにはなれない。
私はあってないようなものだ。
この小さな箱の中ですら自らをさらけ出すことも、一人でいることもできなかった。
周りの一挙一動に振り回されてそれに付き合うことに慣れてしまった。
そうすることが正しいということを誰にも教えられていないのに覚えた。
私は教室という箱庭で飼いならされたペットのようだった。
嘘吐き
放課後の教室。
窓際の机。
私に射し込む夕日。
校庭から聞こえてくるざわめき。
今の私にはそれだけが真実で、それだけが唯一信じられるものだった。
教室には誰もいない。
みんなそれぞれの意思を持ってどこかへ散っていった。
唯一残された私はすでに帰り支度も済んで後は立ち上がって家に向かうだけだというのに何故か椅子から立ち上がることができなかった。
最近いつもそうなのだ。
部活も放課後遊びに行く親しい友人もいない私には急いで立ち上がって教室を出る意味なんて何もないのだけれど、こうして教室にい続ける理由も今のところないわけで。
なのに私は椅子と一心同体かのようにくっついて動けなくなり、ずいぶんと日が落ちるまでこうして窓際の後ろから二番目の私の席から夕日が消える姿をぼーっと眺めているのだった。
それもこのところ毎日のように。
私の意志でここにいるのだと思う。
私を動かせるものは私にしか居らず、こうして机に肘をついて手のひらにあごを乗せる動作も例外なく私の意思で行っている。
なのだけれど、いったいなぜこのようなところに私は長くいるのだろう。
なぜいつも日が落ちるまで空を眺めているのだろう。
最初のうちは何も考えずに夕日を眺めていた。
きれいなオレンジ色の空が、だんだんと青のグラデーションに変わっていく。
そんな姿を見ているのが何故か好きだと思った。
きれいなものが闇に包まれて行く姿が、少し寂しさを残すこの情景が、嘘で固められた世の中のほんのわずかな真実のような気がして私を少しずつ落ち着かせた。
だから私はここにいるのだと思っていた。
無意識のうちにこの空を眺めるためにここにいるのだと思っていた。
でもよく考えれば教室でなくても夕日は見られる。
私の家でも学校の帰り道でも。
そして教室から見るよりも家に帰る時間が早く済んで効率がよいことを私自身が理解している。
なのに私は誰もいない教室で沈む夕日を眺めることをやめないのだ。
最初のころは何も考えていなかった。
行為を数回くり返すうちに、適当な理由を探した。
理由を見つけてからまた数回くり返した後、この行為に理由はないのだと思った。
そして今、何も考えなくなった。
ふと気づくと夕日は空の向こうに消えていて待ち構えたように空の星たちは輝き始める。
3つ目の星を見つけると私はこの魔法から解かれる。
私は立ち上がりそして、深く深く息を吸いおなかの底から息を吐いた。
こうして私は、今日初めて、この教室で、私の自由を手に入れた。
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