拍手お礼文−ニル刹♀ 主従パラレル続き−





醜く濁った感情は貴方の指先さえ染めあげる

その日の午後、控えめにニールの執務室の扉がノック音を立てた。
中にいた当主が入室を許可すると、ニールの補佐役のスメラギが顔を出した。

「エーカー様のご子息が、来訪されてまして…」

ニールがどのような反応をするのか予測が付くかのように、どこか戸惑いを含んでスメラギが言葉を紡げば、やはり、ニールは途端に表情を曇らせた。
「帰ってもらえ」と、ただそう端的にニールは返す。

「ですが…」
「ミス・スメラギ」

当主の意に反するようにそこから動こうとはしなかったスメラギに、ニールが重く名前を呼ぶ。
その声の低さに、スメラギは一瞬だけ肩を揺らした。

ニールは屋敷内、特に二人きりでスメラギといるとき、仕える側である彼女に対して敬意を表する"ミス"を付ける。
それは、今現在ニールがディランディの当主として座っていられるのも、家そのものが安定しているのも、ニールの側に仕え、ブレーンとしての役割を大きく担っているスメラギへの感謝の表れだった。
もちろん、外では他の家の目もあるから、控えてはいるが。

しかし時としてそれは、スメラギの肩に大きく圧し掛かる。
当主に敬意を表される。
つまり、その期待と感謝の気持ちを裏切ることは、許されることではないのだ。

スメラギは当主に気付かれない程度の小さなため息を吐いた。
そして、「わかりました」と言おうとした。

その時だ。

廊下でひどく騒がしい声が二人の耳に届いた。
ニールはそのことに眉を顰め、スメラギは苦虫を噛んだような顔を見せた。
数人分の足音が徐々に近付き、そして、ニールの執務室の扉が勢いよく開かれた。

「門前払いとは冷たいではないかディランディ!私と君の仲だろうにっ」

執務室の中に流れる空気など一切読まずに、部屋に入った男はひどく陽気にそう言った。
ニールは顔を俯かせ、どうにかして表に出る嫌な感情を相手に見せまいと努めた。
スメラギは慌てた様子で男を制止しようとしたが、彼はいとも簡単に無視してソファに腰を下ろした。

「調子はいかがかな?おや、あまり顔色が良くないようだ。政務に根を詰めすぎているのではないかね?」

「誰のせいだ」という言葉は、ニールは何とか飲み込んだ。
思ったことをそのまま口にすれば、最悪家の将来に関わることになってしまう。
それに、反論するだけこちらが疲れるということは、嫌という程身に染みていた。
ニールは少しの間に自分を取り持ち、顔を上げてお茶を運ばせるようスメラギに言った。

エーカーの一族は、ディランディの家よりも少し歴史が長く、そして少し位が上だった。
屋敷に現れた男は、その子息であるグラハム。
その整った顔立ちや美しいまでの金糸は貴族内でも有名であり、令嬢達がどうにかして彼に近づけないかと算段している。
加えて持ち合わせた才覚は素晴らしいと言われ、一族は安泰だと他の家が口を揃える。
ニール自身もグラハムという男の頭の良さには納得している。
だが、それで彼の人間性まで許容出来るかと言えば、それは別で。
ニールはグラハム・エーカーという男が、とにかく苦手だった。

しばらく待っていれば、フェルトがカートを押しながら入室した。
いつもニールの側にいるはずのメイドでないことにグラハムは一瞬だけ目を丸めたが、それはすぐに納得したような笑みに変わる。
グラハムは視線をニールに向けたが、それを受け付けないかのようにニールは顔を背けていた。
フェルトがお茶を入れ終わると、ニールは退室するよう言った。

ニールは、グラハムという男が刹那に興味を持っていることを知っていた。
この男が意味ありげに刹那に向ける視線が、嫌いだった。
それは間違いなく刹那を自分だけのものにしたいという独占欲に他ならず、そしてニール自身はその感情に気付いていた。
けれど、決して抑えようとは思わなかった。


「また縁談を断ったようだね」
「俺にはまだ必要ないですから」

フェルトが入れたお茶を口に運びながら、ニールがひどく穏やかな口調でそう言った。
感情をそのまま表に出していいことなど一つもないと知っているから、化けの皮を被るのが一番だった。
尤も、それが通じる相手ではないことなど、ニールは百も承知だ。

「貴方こそ、人のことは言ってられないでしょう。もういい歳なのだから」
「私のところはまだ父も母も健在だからね。君ほど切羽詰ってはいないさ」

正論を返され、ニールは心の中で悪態を付いた。
カチャリ、という音を鳴らして、カップをソーサーに収める。

「用がないなら、お帰りになってはいかがですか?」

ニールが穏やかにそう言うと、グラハムは肩を竦めた。

「そんなに彼女を私に見せるのが嫌かい?」

グラハムのその言葉に、ニールはぴくりと指を動かした。
その言葉一つだけで、徐々にニールを纏う空気が変化を見せ始めた。
そのことにグラハムは面白いものでも見るように口角を上げて笑った。

「何の、ことでしょう」

ニールはどうにか平静を装って答えた。
だが、内心では嫌悪の感情がふつふつと沸いて来ていた。

「彼女…刹那と言ったかな。君はよほど彼女を閉じ込めておきたいようだ」

グラハムの言葉は、ニールの自制心をいとも簡単に削ぎ落とした。
装うことをやめたニールは、感情のままにグラハムを睨んだ。
グラハムはそのことにひどく満足そうな笑みを浮かべた。
それが余計にニールの理性を崩した。

「怖い顔だな。だがそうでなければ面白くない」

この時のニールには、もう家のことも当主の座も頭にはなかった。
ただ目の前の男に対する嫌悪の感情と、そして刹那に対する独占欲で占められていた。
だからニールは、この男が苦手だった。
グラハムは、ニールの中の狂気におそらく気付いている。
そしてそれを、娯楽を楽しむように表に引きずり出そうとしている。
この男の洞察力の高さは、時に自分の取り持っているものを平気で壊してくる。

「彼女は実に興味深い。クルジスを敵とする君に黙って従っている。その忠誠心は賞賛に値するよ。
私が、欲しいくらいだ」

ぶつりと、音を立ててニールの中で何かが切れた。
目の前の男が自分の家より位が高かろうが気にしなかった。
腕を伸ばし、ぐっとグラハムの胸倉を掴んだ。
勢いに負けたテーブルの上のティーカップが、激しい音を立てて倒れた。
だがそんなこと、今のニールにはどうでもよかった。
ただ敵意を持って、グラハムを睨み付けた。

安い挑発だ。
普段のニールならこのようなものは簡単に受け流す。
それは、目の前の男がグラハム・エーカーという人間でなければ、の話だ。

「ニール様…っ」

慌てた声を上げたのは、再び入室したフェルトだった。
メイドである彼女にも、目上の貴族への無礼な行為が何をもたらすのかぐらい容易に想像出来た。
フェルトの声でニールはようやく少しの自制心を取り戻し、グラハムの胸倉を掴んでいた手を離した。

「すまないね、せっかく入れてくれたお茶が駄目になってしまった」

グラハムは別段慌てる素振りもなく、フェルトを気遣ってそう言った。
だがニールへの謝罪はその口から紡がれなかった。
フェルトは零れたお茶を拭くものを取りに、すぐにまた退室した。

「一つ、忠告しよう」

グラハムが言う。
ニールは顔を上げなかった。

「君の中に存在する狂気はいずれ確実に彼女を脅かす。それを望まないのであれば、早々に彼女を手放すことだ」

グラハムはソファから立ち上がり、「邪魔したね」と言って部屋を後にした。
残されたニールは、ただ何かに耐えるように、自身の拳を握り締めていた。

グラハムがしばらく屋敷の廊下を歩いて行くと、メイド服を身に纏った少女が先に立っているのが見えた。
その強い紅を目にして、グラハムは再び満足そうな笑みを浮かべた。

「見送りかい?それはありがたいな」

コツリコツリと音を鳴らして廊下を歩き続けるグラハムが刹那を横切った瞬間、彼女はひゅ…っとほとんど音もなく動いた。
グラハムはぴたりとその歩みを止める。
彼の背中に、細く鋭い凶器がギリギリの所で突き付けられていた。
ぴん、と空気が張り詰めたようだった。

「…それで刺すかい?私を。私はそれほどまでに君に嫌われるようなことをしたかな」

特に慌てる様子も見せず、グラハムは淡々と言葉を紡いだ。

「俺は、別にアンタのことなんて何とも思ってない。
だがアンタの存在がこれ以上当主をかき乱すなら、俺は迷わずアンタを刺す」

刹那の声に迷いはなかった。
エーカーの子息に直接の恨みはない。
だがこの男は間違いなく、当主を脅かす。
彼の叔母など、この男に比べれば可愛いものだ。
この男が近くにいては、いつか必ず、当主は当主でなくなる。
刹那はそれが許せなかった。
この行動そのものが家の将来に関わるとしても、だ。
刹那の声はひどく冷静だった。しかし彼女の心の内は、それに反比例するかのように理性の存在を欠いていた。

「…くっ、」

刹那から出る殺気は本物であるにも関わらず、グラハムは全く緊張感を見せる様子もなく、それどころか肩を揺らしてくつくつと笑っていた。
刹那はその行動に眉を顰めた。

「…何が可笑しい」

戸惑いから、一瞬だけ殺気が緩んだのを見逃さず、グラハムは身を翻した。
その素早い動きに刹那は驚きを隠せず反応が遅れた。
内心の冷静さを欠いていたのも、原因であった。
凶器を持つ手をあっという間に抑え込まれ、壁に追いつめられる。

「やはり君は実に興味深い。いや、君達は、か…」

グラハムは確かに刹那に興味があった。
だがそれと同じくらい、ニールにも興味があった。
互いに同じ想いを抱えているにも関わらず、崩壊を恐れ今の関係に固執する二人。
愚かだ、と思う。
だがそれ以上に、表現しようのない好意に似たものを覚える。
このままの関係で終わらせることを、もったいないとすらグラハムは思っているのだ。

「…何が言いたい…」

刹那は牽制の為に敵意をグラハムに向けてはいたが、この男には何も通じないようだった。
やがてグラハムは刹那の首筋に顔を近付けた。
それに嫌悪を示し抵抗を見せたが、抑え付けられた手はびくりとも動いてくれない。

「君にも、忠告をしておこう」

耳元で発せられた男の低い声に、刹那はぴたりと動きを止めた。
その続きを聞いてはいけない気がした。
本能が耳を塞ぎたがっている。
だが、そんな都合のいいことなど起きてはくれない。

「君のその想いの強さは、いずれ抑えが利かなくなる。
コントロールの出来ない想いは、簡単に全てを飲み込んで行くことになるだろうよ。例え君が望まなくても、だ」

刹那はただ紅い瞳を見開くしかなかった。
グラハムの言葉は、嫌というほど刹那の中に簡単に滑り込んだ。


自分の想いがコントロール出来なくなる。
全てを飲み込んで行く。

自分が、当主を脅かす存在になる。


グラハムの言葉は刹那の思考を占め、抵抗することを忘れさせた。
グラハムは普段ほとんど動くことのない刹那の表情が驚きと恐れに満ちていることに、口角を上げて笑った。
やがて、掴んでいた刹那の腕をするりと離せば、それは重力に従ってすとんと落ちた。

「また会えるのを、楽しみにしているよ」

耳元で低くそう言われ、刹那は小さく肩を揺らした。
コツリコツリと廊下を鳴らす革靴の音が、ひどく耳に響いた。

刹那の頭を過ぎっていたのは、当主の顔、ただそれだけだった。



(少しずつ、けれど確実に、崩壊が始まる)

10.02.25


title by=テオ





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