カーテン越しに月明かりが入ってきて、部屋の中を仄かに照らす。
眠りについていたエドワードは、物音に気付いて、うっすらと目を開けた。
リビングを歩き、バスルームのドアを開けて、閉める音。
アル?
なかなか開かない目を凝らして、ベッド脇のサイドボードに置いてある時計を見る。
あいつ、今日は日勤だって言ってたのに、こんな遅くまで働いてたのか。
火トカゲのヤツ、いくら片腕だからってアルをこき使いやがって、と頭の中で文句を言いながら、うとうとと眠りの帳を再び落とす。
浅い眠りから深い眠りに変ろうとしたとき、この部屋のドアを開ける音がした。
そっと閉じて、足音を殺しながら歩み寄ってくる。
ベッドの端が沈んで軋む。
温かな指がエドワードの前髪を触り、何度も掻きあげ、そのまま滑らせて耳を触って頬を撫でる。
その指が離れ、人の気配が消えたように静かな時間がしばらく流れた。
衣擦れの音と共に、近づいてくる気配。エドワードの肩の傍に手をついて屈み込み、唇にふんわりとしたキスをする。一度だけ触れ合わせて身を起こすと、長い指がまた髪を撫でた。
端が沈んでいたベッドが、軋みと共に元に戻る。アルフォンスが立ち上がった。
部屋を出て行くんだろうかと思ったが、それは違っていて、またベッドの端が沈んだかと思ったら、毛布を捲って中へそっと入り込んでくる。
エドワードは目を開けると、アルフォンスが入りやすいようにベッドの端へと身体をずらした。
「あ、ごめん兄さん。起こした?」
「……どうした、アル」
「一緒に寝てもいい?」
「既に入っといて、いいもなにもねえだろ」
「……うん…」
エドワードの隣に体を滑り込ませて、深く毛布に潜って来る。端をひっぱり上げてすっぽり包まると動かなくなった。
アルフォンスはなにも喋らない。
呼吸さえも潜めているように静かだ。
「アル」
アルフォンスの様子に気付いて、エドワードは声を掛けた。
「どうした」
「どうもしないよ」
毛布に包まったまま、身動きもせずに声だけで応える。
声だけではなにも異変は感じ取られない。けれどいつもの弟ではないと判る。だって一度もエドワードの目を見ようとしない。
「アル」
エドワードは同じ毛布の中にある自分の手を持ち上げて、俯いているアルフォンスの頬に触れ、隠している顔を自分の方へ向かせた。
「なに、兄さん」
いつものように、アルフォンスは笑う。
エドワードはその笑顔を、黙って見詰めた。
判ってしまった。いつも通りの声でも、いつも通りの笑顔でも。
「おやすみ」
アルフォンスは伸びをしてエドワードの唇にキスをすると、また毛布に深く潜る。
エドワードは何も言わず、隣に横たわって、弟の気配に耳を澄ませた。
耳鳴りがするんじゃないかと思うほどの静けさの中、アルフォンスはなかなか寝付けないようだった。自分の呼吸すら押し殺すように沈黙し、身動きもしない。一定のリズムを刻む穏やかな呼吸が聞こえてくるのを、エドワードはじっと待ったが、いつまで経っても聞こえてこなかった。
「……アル」
「……なに…」
「こっち来い」
しばし躊躇うようにしていたが、アルフォンスは少しだけ体を動かし、近づいてきた。
「もっとこっち来い。……もっと。兄ちゃんが、腕枕してやるから」
「どうしたの兄さん。なにか悪いものでも食べた?」
「うるせ。いいから……おいで」
引き寄せて、アルフォンスの体を自分の胸に抱く。
「機械鎧が硬い」
「わがままいうな」
「肩に負担がかからない?」
「大丈夫だ。おまえの頭、軽いから」
「どういう意味だよ」
ぴったりと体を寄せ合っているからアルフォンスの表情は見えないが、笑う気配が伝わってきた。腕枕をした機械鎧の手を曲げて、アルフォンスの後ろから短い金色の髪を指先でかきあげ、隠れていた耳を露わにする。その耳に、直接囁いた。
「……おやすみ、アルフォンス」
髪を優しく撫でた。愛おしむように、何度も。
アルフォンスは喋らない。されるがまま、エドワードに身を預けている。
金色の髪に唇を押し当てて、エドワードは何度も何度も頭を撫でた。その手を滑らせて、眠りを促すように背中をぽんぽんと叩き始めると、再びアルフォンスが笑う気配がした。
エドワードはアルフォンスの背中をぽんぽんと叩く。ずっと、ずっと、叩き続ける。
時々背中を擦ったり、頭を撫でたりしたが、アルフォンスはそれでもなかなか寝付けないようだった。
家の外もこの部屋の中も、しんと静まり返っている。外の世界では風の音すら聞こえてこない。唯一耳に届くのは、エドワードがアルフォンスの背中を叩いたり頭を撫でたりする、本当に微かな音だけだった。
根気よく続けていたら、ようやくアルフォンスがうとうとし出した。全身を弛緩させ、全てをエドワードの腕の中に預けてくる。押し殺すようにしていた密やかな呼吸も、一定のリズムを刻む穏やかな寝息に変る。
弟が眠りについたのは、夜明けが迫った頃だった。
アルフォンスが眠りについてからも、エドワードは優しく癒すように、何度も背中や髪を撫で続けた。
オレには判っちまう。おまえがどんなに平気そうな顔をしていても。笑っていても。
なあ、おまえをそんなに傷つけたのは、なんだろうな。それとも仕事で辛いことがあったのか?
2人で支え合って生きていくと決めたのに、本当に辛い時ほど、素直になれないのは何故だろう。子供の頃は何でも言い合えたのに。大人になればなるほど、絆が深くなればなるほど、自分たちはお互いに対して本当の弱みを見せないように強がってしまう。相手が傷ついているときはその傷を分かち合いたいと思うのに、自分が傷ついている時は、相手を心配させたくないと思ってしまう。
おまえが何も言わないのなら、オレからは何も出来ない。ただ黙って、こうやって包み込んでやることしか。
エドワードはアルフォンスの髪に頬ずりをした。
朝になったら、いつもより少し早起きをして、温かい朝食を作ろう。
おまえが好きなスープと、おまえが好きなスクランブルエッグと、濃いめのコーヒーを淹れて。焼きたてのパンも用意してやる。さすがにアップルパイは作れないけど、リンゴの皮を剥いてやることくらいは出来る。
いつもは髪を梳かして貰ってるけど、今日はオレがおまえの髪を梳かして、寝癖を直してやろう。
それから、それから……。
アルフォンスの感触と体温を感じながら、エドワードも目を閉じる。
この世界に2人だけしか居ないような錯覚に陥るほどの静かな夜に、身を寄せ合って、力強い夜明けが来るのを待つ。
静謐な、夜
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