「人間という生き物は、」
3月のぬるい風が吹いた。
意識を侵食するような、独特の靄がかかった空気。
「自分こそが一番弱いと思っている 」
空をカラスが飛んでいく。
強い風に押し戻されながら、徐々に高度を下げて視界から消えた。
「上辺では相手を気遣いながら、」
ぼんやりとした太陽の光を雲が遮った。
遠くに生えた大樹の葉が音を立てて揺れた。
「黙って何も言わない自分に酔っている 」
それきり言葉が止まった。
彼はうつむいて、眼下にある真っ直ぐな道路を見つめている。
「...所詮、悲劇のヒロインだ 」
ぽつりとそう言った。
「演じてなくちゃ生きられないんだよ 」
もう一人の男が言う。
風が一層強くなった。
「人間はそうやって、演技を自ら褒めるだろう 」
高い塀の上を渡り歩く猫の背が見えた。
小さく身震いをして、そのままどこかへ消えてしまった。
「そうして、もっともっと生きられるように、
死んでしまわないように、
もっと上手に演じることに一生懸命だ
誰だって死にたくないからね 」
彼はずっと黙っていた。
ふと顔をあげて、霞んだ空を眺めた。
「こんな、誰が死のうとも構わない世界で
そんなことをしたって無駄なのに 」
再び顔をだした、明るすぎる太陽の光。
暖かさが増した。
「殺伐とした世の中だから、さ 」
男はわずかに微笑んで言う。
「誰も、自分を無き者にされたくないんだよ 」
「それはとても滑稽だね 」
「ああ 」
風が止んだ。
恍惚ハニー
人は皆、自己に陶酔する。
漢字カタカナお題より拝借
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