「ほら、動いちゃダーメ」
「は、はい…」


 にこにこと笑ってはいるけれど有無を言わせない雰囲気で、フランがにこにこと笑う。昨晩、急に泊まりに来たフランは、仕事に行く私に化粧をしたいと言い出した。時間には余裕があったし、軽い気持ちでいいよと言ったけれど、いざ化粧を初めて見ると、どうして軽い気持ちで返事をしてしまったのかと後悔をした。
 フランは、とても綺麗な顔立ちをしている。優しげな紫の瞳、緩やかにウェーブした金色の髪、羨ましいくらい長い睫毛、筋の通った鼻。イケメンという言葉ではなく、美形、という言葉がぴったりと当て嵌まる顔立ちだ。ふざけたように、お兄さんは美しいだのなんだのとよく言っているけれど、年下の男にお兄さんと言われても、と苦笑して聞いていた。ただ、美しいというのは本当だ。
 そんなフランが、私に真剣な眼差しを向けている、心臓が馬鹿みたいにうるさくて、私はどうにも落ち着けない。よく考えると、こうして視線を至近距離でぶつけ合うことは、あまりないように思える。フランの手が私に触れる度に、身体を震わせてしまう。それを嗜めながらも、どうやらフランは楽しんでいるようだ。
 ひどく優しい手付きで、パフをのせる。ブラシを動かす。仕事に行くだけだというのに、どこまでするつもりなのだろうか。


「俺さ」


 ふ、とフランが口元を緩めながら口を開いた。顔の近さは、変わらない。吐息が顔に当たった気がした。ひどく甘い香りに、頭の奥がじん、と痺れる。


「恋人にメイクするの、好きなんだ。俺の手で恋人がどんどん美しくなる。しかも俺がやってるんだから、当然俺好み。これ以上ないと思わない?」


 そう言って微笑むフランは、とてもじゃないけど年下には見えないほど「大人」の魅力に溢れていた。フランだって年齢的にはもう子供ではないとはいっても、年上の私は、いつもフランは年下であると意識していた。思えば、私がそうして線引きをしてきたのは、フランの男性としての強すぎる魅力に負けてしまわないようにだったのではないか、と思った。
 ちょっと目を閉じて、と言われるまま目を閉じる。ただ目元の化粧をするだけだとわかっているのに、まるでキスをする時のようで、小さく期待しまった自分が馬鹿らしくなるけれど、好きなのだからしょうがないと、小さく言い訳をしてみる。
 目元を人にいじられる、というのはやはり少し恐くて、落ち着かない。それを見越したようにフランが頭を撫でてきて、俺の事信じてないの、とからかうように笑った。なんだか子供扱いされているようで、年下だもの、不安だわ、とわざと年下ということを主張して、意地悪してみる。


「仕事に行けなくなるくらい愛してあげようか?もちろん、ベッドでね」
「…すいません」
「はいはい」


 耳元で囁かれた言葉は、脅すような声音ではなく、身を委ねたくなってしまいそうな甘ったるい声音だった。それが逆に危機感をもたらして、私は身を固くする。
 私とフランが黙ってしまえば、室内にはフランが手にしたり、置いたりする化粧道具の音だけ。フランが使っているうちの半数は私のものだけれど、一部はフランの持参したもの。もしかすると、元からフランは今日、私にメイクをするつもりで来たのかもしれない。今日はフランの仕事は休みだという話しは昨日のうちに聞いている。


「はい、できた。すっごく可愛くできたよ。本当に!ほら、見て来てごらん」


 ご機嫌なフランシスに手を引かれて、鏡のあるドレッサーの方へと連れていかれる。そこには、普段通りの冴えないスーツが移り、少し視線を上げれば、私とは思えないような、丁寧な化粧を施した私がいる。街中で見る若い子のような派手さはないけれど、上品で手の込んだそれは、まるでパーティに参加するために施したもののようだった。いつものスーツはなんだか場違いで、本当はドレスを身に纏うべきであるような錯覚すら覚える。
 本当に、感嘆のため息をついてしまうほどだけれど、私が今から行くのはパーティではなく、恋人のフランシスとのデートですらない。ただ、毎日通っている会社に、仕事をしに行くだけだ。場違いなのはスーツではなく、こちらの化粧の方である。嬉しいけれど、困惑を隠すこともできずにフランシスを見る。


「私、今から仕事に行くだけなんだけど…」
「電車の中で誰もが見蕩れること間違いナシだよ」
「そうじゃなくて!ちょっと、化粧するだけなのに、濃いんじゃないかな…」
「ま、それは否めないね」


 肩をすくめたフランの肩を軽く殴るけれど、フランは楽しそうに笑うだけだ。このまま仕事に行ったところで、なんの支障もない。ただ少し私が恥ずかしい思いをするだけだ。時間を見れば、家を出るまでにはまだもう少し、ある。
 不意にフランが私の顔を覗き込んだ。驚いて、少し下がろうとしたけれど、私の後ろにはドレッサーがあるせいで、それ以上は動けない。またフランの美しい瞳が目の前に迫っているせいで、心臓が痛い。フランには本当に翻弄されてばかりだ。


「でも、やっぱりダメだな」
「…何が?」
「ほら、落とそう」
「えっ…!」


 また手をぐい、と引かれ、化粧落としを持ったフランが苦笑する。せっかく時間をかけて、こんなにいい化粧をしたのになぜ、と私が狼狽えていると、フランは少し照れ臭そうな顔をした。


「そんなにかわいいのに、俺ナシで外歩かせるわけにはいかないでしょ」


 悪い虫がついたら大変だからね、と手の甲にキザなキスが落とされる。顔が真っ赤になるのがわかって、私は慌ててフランの頭を抑えた。くしゃり、と、金髪を指に絡めて、フランが顔をあげないように。


「…今度は、デートの時に、してね」
「Oui」


聞こえた返事は、やはり笑みを含んだものだった。



年下彼氏 本当に年下?



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