「で、まんいーたーって、なんだ?」
「お昼時にふさわしい話題でもないけどね」
屋上で捕まえると、渋りながらサスケが説明してくれたのは、ここ数日街を騒がせる連続殺人事件のことだった。
「ま、その死体がね、なんかに食われたみたいにぐっちゃぐちゃなんだってさ。しかも死体はほぼ五体不満足。身体のどっかしらが欠損してるんだって。それで、犯人はきっと食うために死体を千切って持って行ってるんだ、ってことでついたあだ名が『マンイーター』つまり人食いってわけ。学校でも注意を呼びかけてて放課後の部活動が今禁止になってたりしてたんだよ。それも知らないってちかちゃんらしいというかなんと言うか」
あきれたサスケの口調だが、笑いを含んでもいる。






「あーオレ様もバイトとかって、してみたいんだけどねぇ」
人間関係とか広がりそうだよね。そんな必要など微塵も感じさせない軽やかな口調でいいながらサスケは身を翻して校舎のほうに向かい歩き出す。元親はよく知らないのだがサスケは両親と暮らしているわけではなく知り合いの家に世話になっているのだとか。その礼とでもいうのか、いまもその家の若様とやらの面倒を見ているらしく、放課後ともなるとさっさと姿をけしてしまう。その様子を見ていると望まぬ奉仕を強いられているという様子ではないので元親にも言うべきことは特にないように思われ、いつもこうして見送るばかりなのだった。


「あーくそ、遅れたぜ」
住んでいる下宿には門限といったものはない。だがそれでもこれまで元親は、自分で定めた九時という門限を守ってきた。理由はただ一つ。管理人さんが作る美味い晩飯にありつくためだ。あたりは既にとっぷりと暮れて、元親のほかには家路を急ぐ人の気配さえない。
ここまでバイトが長引いたことはなかった。
元親の頑健な肉体を活かした倉庫での品出し作業は単調ではあるものの実入りがよく、親元を離れて遊ぶ金を短時間で稼ぐにのにはそこそこむいていたが、今日のように突発的に作業量が増えると残業という名の超過勤務もなかなか馬鹿にならない。
しかもそんなときに限って、昼間サスケから聞いた『マンイーター』とやらの噂を思い出したりするのだ。


闇の中で爛々と光るモノが眼だと気がついた。そこから闇に紛れそうになる輪郭を辿る。
獣…実物をみたことがなくとも日本人であればその姿には見覚えがあるのが普通だろう。元親もはっきりと覚えているわけではないがおそらく幼い頃に動物園ででもみたに違いないそれは。
「狐…か?」
にも関わらず元親の語尾が疑問形になったのは、その獣の大きさゆえだった。
大きい。
肩に手をかけて立ち上がれば元親と同じ目線になりそうなほどに大きいそのサイズは当然、自然のものというには規格外で、元親の脳裏には先程から自分を追い掛けてくる異形の姿がちらっと掠めた。(祖父の飼っていた犬を思い出していた。豪胆な祖父は自宅の裏山に二頭の犬を放し飼いにしていた。犬種もわからないがとにかく大きく、子供だった元親にとっては一口で喰われてしまいそうだと思った事が強烈な記憶として残っている。ほとんどあれは野犬というんじゃないかと元親が思ったほどかまいつけているのを見たこともなかったが、二頭の忠誠心はしっかり祖父の上にあったらしく、祖父の葬式の日。庭の片隅に肩を落として寄り添うようにじっとしている姿をみた。そして、それっきり二度とその姿をみることはなかった。)

元親を睨み据える視線は鋭く、どう割り引いても友好的な雰囲気というには程遠い。そうこうしている間にも背後には振り切ったはずの湿った足音と剣呑な気配が迫っている。(さて、どうしたもんかな)不思議なもので自分が本当に心底追い詰められていると思うと、かえって落ち着きを取り戻すのが元親の性分だった。今も背後の気配に気をやりながら眼の前の獣をどうやりすごそうか、頭はフル回転しているのだ。
獣は大きく、ひと跳ねすれば元親の喉笛を切り裂く事も可能にみえる。しかしよく見れば足元に少しずつ影よりも濃い染みが広がっている。食いしばり唸りを上げるのも手負い故の警戒だとすれば、汚れた毛並みもどうやら獣自身が傷を負ってのものらしい。そう思うと途端に元親の悪い癖がでる。
「なぁ、おい。そんな怖がるなよ」
もちろんここで怖がり、後ろも振り返らずに逃げ出すべきは身を守る牙も爪もな
い元親である。にも関わらず気がつけば元親の口からは自分を睨みあまつさえ唸り声をあげて威嚇する獣を気遣い、労るような言葉が出ていた。
悪い癖だと我ながら思うぜ。苦々しい気持ちでそう思うのだが、発した言葉自体には後悔はない。眼の前に傷ついたものがあると放っておけないのだ。低く唸り、歯を剥き出しにして自分を睨む獣相手にしてさえそれは変わらない。
背後に迫る気配に元親には焦りが沸き上がる。
元親自身の危険もそうだが、人間を襲い捕食するような輩が相手となればこの傷ついて汚れた獣とて無事ではすまないのではないか?
ぺたりと地面に伏せた尻尾も力無く、必死に踏ん張る前脚からは血が滲み出している。影に隠れて見えない後ろ脚も元親が近寄ってみても立ち上がってもこないのは、立ち上がらないのではなく、立ち上がれないのではないかと気がついた。






「へい!ストップ、止まれそこのあんた」
「誰だ!」
元親の誰何する声はニヤニヤとした笑いに跳ね返された。
「誰かに名前を聞く時はまず自分から名乗るものってママに教わんなかったのか?長曾我部元親」
「っ…。俺の名前を知ってんのか…あんたは何者だ?」
名を識られている。元親の中に警戒する気持ちが芽生えた。
その腕の中で獣が震える。寒いのかも知れない。血が流れ過ぎているのだ。
早く治療してやらなければ、と気が焦るが突然現れた男は元親を黙って通してはくれないらしい。
「あー政宗だ、伊達政宗。狩人をやってる。」
元親の詰問に男は肩をすくめる。駄々っ子相手にしょうがねぇな、というような態度に余計に腹が立った。
「用事なんていうほど大層なもんじゃない。簡単だ。あんたはそいつを置いて、お家に帰って、全てを忘れる。あぁ、ついでに今後は夜の出歩きは控えろよ」
「こいつ置いていったらどうするつもりだ」
震える毛皮を抱え込むようにした元親に、あっさりと男は答えた。
「殺す。端からそのつもりで声をかけたんだがな、そう見えなかったか?」
「そう見えたから聞いたんだ。残念だよ、あんたが助けるっつーんなら、ここに置いてくってのも選択肢だったんだがな」
「あーSit。なるほど、mistakeだ。やり直す。『殺さない、助ける、だから置いてけ』これでいいか?」
「あのなぁ、そんな棒読み、誰が信じるんだよ」
「あははは、やっぱり駄目か」
何を言っても軽々かわされてしまう。政宗は感情も表情も隠してるわけではない。でも次々に捉える暇も無くころころと変わる表情は、逆にどれが本当かをわからなくしてしまう。
「そいつを助けてどうする?」
「どうって」
政宗はいつの間にか刀を抜いていた。速い。いつ抜いたのかは元親にはさっぱり判らなかった。
研ぎ澄まされた白刃が街頭の明かりを硬質に跳ね返す。
「みてわかんだろ? そいつは普通じゃない。お前が関わっていい世界のことじゃねぇんだ」
確信に満ちた男の声に揺らぎそうになる気持ちを、腕に伝わる温もりがおし留める。
「わかんねぇ…助けても意味はないかもしれねぇって思う。元気になったらこいつが俺を襲うかもしれないって思わないわけでもない。でも、こいつを見捨ててそれをずっと悔やむ位なら、来ないかもしれない未来を怖がって助けないのは自分に納得がいかねーんだ!」
「…そうか。じゃあしょうがねぇ。好きにしろ」
政宗は次の瞬間刀を鞘に納めていた。鋭い風が頬を掠めた事に元親は気がつく。
「なんの真似だ…」
政宗がその気になっていれば今ので首が落ちていた。
「なーにServiceさ。気にすんな」
汗がしみた痛みに頬に傷が出来ている事がわかった。極浅い傷だったが走り続けて早くなった脈拍が打つごとに血が滲みだし、腕の中の獣に滴る。
「そいつを庇うんならまた会うだろう。それまで…生きてろよ」
政宗は闇に溶けるように消えていた。夢か幻のように。
だが頬の傷と腕に抱えた重さはまだ現実の元親に残されている。
元親はもう一度走り出した。血が流れて軽くなったはずなのに腕にかかる重さは増すばかりだ。風にあてないようにと、走ったせいで暑くなって脱いだ上着でくるみ抱え直す。
「もうちょっとだからな」
聞こえていないだろうと思いながら語りかけるのは同時に疲労している自分を鼓舞するためだ。
走る元親の頬からは滲み出る血が筋を描き、一滴、二滴と弱り果てた獣に降り懸かった。そのたびに獣は微かに震える。
ただ足が縺れて転んだりしないように、地面を睨むように走る元親の重さに麻痺した腕ではわからなかった。かけられた上着の下。獣はゆっくりとその姿を変えていた。



好きなお話がもしあったら教えてくだされば幸いです☆

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