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『黒い染み』

この瞬間は、何年経っても慣れはしないだろう。
ドアノブを回すこの瞬間。一枚板の向こう側。今日はどんなモノが待ち構えているのか……。

『じゃあ、よろしくお願いします』
『はい、分かりました』

 ほとんど毛がなくなった頭頂部をハンカチで拭きながら、大家は軽く頭を下げお願いをした。こちらも合わせて会釈をすると踵を返し、鉄製の階段をかんかんと下りていく。
 もう十月だというのに、まだ残暑は厳しく、この目の前の玄関扉を開けるのにはやや勇気が必要だった。
 ふっと小さく息を吐き、両手を合わせてからドアを開け、すばやく中に入り閉めた。開け放しておいたほうがいいのだが、周りの住人から苦情が来るためそういう訳にもいかない。
 十畳ほどのワンルーム。古い建物同様、畳も黄色く変色していた。その一部、部屋の隅のほうに、今回の仕事の相手が鎮座している。そこだけ新品の畳の上に真っ黒に。
 
 この≪清掃屋≫も三年になるが、毎度毎度ご丁寧に清掃業務は変わっている。同じものなど只の一つもない。自殺だろうが他殺だろうが、死んだ人間がいた痕跡を掃除するのだから当たり前と言っては当たり前なのだが。今回の清掃場所は、どうやら死後数ヶ月は放置されていたらしく、黒い滲みからは不快な臭いが漂って部屋中に充満していた。
 マスクをし直すと、専用の洗剤(何が配合されているのかは社長しか知らない)でブラシを掛ける。しかし、相手が悪すぎだ。これは御祓い行きではないのかと思う。と、言うのもこの黒い滲み、畳を変えても変えても滲んでくるそうなのだ。清掃屋の仕事じゃねぇよな、と呟いて今度は霧吹きを掛ける。
 滲みは広がるばかりで一向に消える気配は無い。それどころかどんどん大きくなり、ついにははっきり人型と分かるほど大きくなってしまった。しかも、髪型や足を折り曲げた服のシワまではっきりと。

『これは……やっぱ俺の仕事じゃないわ』

 早々と立ち去ろうとする。道具を片付けマスクをもう一度付け直す。すると、滲みも一瞬動いた気がした。目を凝らす。ずりずりとこちら側に広がる滲み。ひぃと小さい声をあげるも遅かった。滲みは足に絡みつきそのまま……。


『いやー、あの清掃屋もだめだったか〜』



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