02:隣
自分の隣に何がいるか、またはなにがあるか、という問題は、時任にとってあまり重要ではない。
当然といえば当然だ。常に同じものと隣り合っていられるわけではないし、そんな事態は絶対に嫌だ。それが有機物でも無機物でも、いつもいつも同じものが隣に見えるという不変は、想像しただけでもぞっとする。
何しろ流行の引きこもりに近い日々の暮らしぶりである。幸か不幸か面倒事を呼び込む性質らしく、なかなか家にこもってはいられないのだが。
しかし、隣に何もいないほうがいいというわけではないのだ。
「…キー、トッキー? とーきーとーうくん」
寝起きのぼやけた思考を引き戻したのは、多少の違和感だった。何が日常からずれているのかといえばそれは時任を呼ぶ声であり、その呼び名であり、周囲の光景であった。
「え、あ、うわ」
気がつけば淹れたてのコーヒーがカップから溢れんばかりになっていた。表面張力で丸く盛り上がった琥珀色の水面に、今現在世話になっている部屋の主の顔が映る。慌ててポットを戻すがその口から零れた一滴で許容量を超えたのか、とても静かに、コーヒーがカップの縁から溢れた。
「あらら、ほいタオル」
あまり困っていないような口ぶりと共に、テーブルの持ち主は濡れ布巾を寄越す。見た目や声はまるで似ていないくせにその口調は同居人と似ていて、それだけで時任は錯覚しそうになる。
「ごめん」
「別に構わないけど」
けど、の後に続く言葉を滝沢は飲み込んだ。
「分かってる。大丈夫」
飲み込んだ言葉をそのまま流してしまいたくなくて、時任は自分の手で掬い上げる。
「大丈夫、やんなきゃいけないことは分かってるし、見失わない。間違えねぇから」
不変を怖れるくせに、何か起こるたびに繰り返す日常を取り戻す為だけに奔走しているような気がする。
だが、それでいいのだと思っている。仕方のないことだ。時任の本当に欲しいものは、居心地のいい部屋でも三度三度の食事でもないのだから。
「…トッキーってさぁ」
滝沢が苦笑混じりに言った。
「ホントにそういうとこ、絶対間違えないから凄いね」
「え、どういうとこ?」
「自分の望みってやつ? 本当は何したいかっていう、根っこは絶対間違えないっしょ。俺そういう奴、一人知ってるから、何となく分かるんだけどさ」
「…誰?」
尋ねると、さぁねと誤魔化されてしまった。
「過去より今。さっさと飯食って出かけよう」
彼の誤魔化しに違和感は覚えたものの、何となく思い当たる節がないでもなかったので、それ以上の追求はやめておいた。
それよりも、他にやらなければならないことがある。
(そうだ)
過去より今。
隣にいると言ったくせにふらふらと離れて行ったあの掌を、取り戻さなければいけない。
「うん」
お前の居場所はここだと教えてやらなければならないのだ。
(そこにいろって言っただろ)
忘れてしまったのなら、何度でも教えなおすまでだ。
「…うん」
なみなみと注がれたコーヒーを一気に飲み干して、時任は立ち上がった。
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