拍手ありがとうございました!



※やや流血描写あり。



 地獄のようだった。
 戦場は悲鳴と雄叫びが交錯し、銃声が聞こえたと思ったら肉の裂ける音がする。剣に貫かれて息絶えた男、銃創から脳漿を垂れ流している男、槍を握りしめたまま両目を失っている男など、様々に転がっていた。彼らに共通する項目はたったひとつ。その肉体から魂が失われ、生命が抜け落ちた死体だということだけだ。
 彼はそんな彼らに敬意を、憐憫を、そして呆れを含んだまま歩を進める。こちらに向かって斧を振り上げた男を撃ち殺し、彼はその男に目もくれず歩き続けた。構っている場合ではない。やるべきことがある。
「……ヴェスト」
 いとしい家族の、自分しか呼ばない特別な名を呟いてみる。
 途端に戦場の血腥さが薄れ、己を呼ぶ柔らかい声が耳の奥から脳に響いた。
 ――にいさん。怪我をしないで、無事でかえってきてくれ。いいこで待ってるから、だからちゃんと帰ってきて。
 泣きそうになりながら、必死で彼を見上げてそう言った愛しい弟の姿が脳裏をよぎる。
 今回の戦はそう大きなものではなく、彼は怪我といえるほど大きな怪我もせずに勝利を収めることができた。弟が、いずれ彼をも踏み台にして上にのし上がる幼き王が望む、最良の結果を得ることができた。その事実を誇らしげに胸に抱き、彼は足を速めた。
 早く。早く帰って、抱きしめてやらなければ。表面では強がって見せるくせに、さみしそうにあおい瞳を潤ませるのだから、早く抱きしめてやらなければ泣いてしまう。
 彼は更に歩幅を広げ、大股で戦地を縫って行った。足元で男が呻くが、一瞥をくれてやるだけですぐにその横を過ぎ去る。傷ついた敵軍兵士などには、視線を向けることすら億劫だった。
 不意に、その兵士が体を跳ね起こし、剣を抜いた。ぎらりと鈍く光る剣は人の血と脂に汚れており、美しい装飾もなければ冷えた切れ味すら感じさせない簡素なものだった。狂った獣のような咆哮を迸らせながら、男が彼に向って剣を振りかぶる。さすがに彼も無視できる状況ではなくなったため、舌打ちしながらその凶刃をひらりとかわした。しかし間合いが取り切れず、彼の白い頬にざくりと一筋の赤が這った。
「……ッ! んだよ、てめえらのトップはもう死んだぜ。俺が殺した。てめえらの負けだ」
 ジャリッと土が彼の軍靴の下で潰れ、僅かに埃が舞う。携えた剣を引き抜き、こちらも装飾の少ない、けれど上質な刃を光らせた。
 一瞬だった。
 男が吠え、彼は駆けた。襲い来る血まみれの銀色は濃紺のマントに翻弄され、一瞬怯んだ隙に男は先程まで伏せていた地面と再びあいまみえることとなっていた。ひたり、と男の首筋に鈍い金属が押し当てられる。剣を持つ彼の髪と同じ色をした刃は、剣を持つ彼の瞳と同じくらい冷たかった。
 男は命乞いをした。死にたくないと、家で家族が待っているのだと、涙ながらに訴える男に、彼は呆れきったような視線を投げ、そして左手を振りおろした。
 断末魔を上げる間もなく息絶えた男。支えるものの無くなった首からぶしゃりと噴き上がる飛沫が彼の服に飛び散り、彼は不快そうに顔をしかめた。
「俺様が命乞いなんて聞くわけねえだろ。……あーあ、汚れちまったし、怪我もしちまった。またヴェストに泣かれちまうな」
 腹の底から吐き出すような忌々しげな声で呟き、彼は所々赤黒く染まった濃紺の布を翻して剣を収めた。軍靴の底で砂をすり潰すようにして、いまだ不規則に赤が飛び散る場所を後にする。
「死にたくない、家族が待ってる……か」
 彼には帰るべき場所があった。昔は持っていなかったものだ。彼は男からそれを奪った。理由など、彼から数秒の時間を奪ったという事実だけで十分だった。数秒あれば愛しい弟を抱きしめられる。キスもできる。その貴重な数秒を奪ったと言うだけで、男の人生を奪うのに十分な理由だった。
 剣が重い。幾人もの命を啜った剣は疲れた彼の足取りを重くさせる。しかし彼は歩幅を狭めることはせず、ひたすらに戦場を歩いた。魂がこぼれてしまった骸たちに目もくれず、彼は歩いた。
 頬を流れる血は既に凝固を始め、乱暴に拭った指先からはぱりぱりと固い血が剥がれ落ちる。風がその血をさらい、赤黒いかけらは消えていった。
 彼の胸には、幼き王の姿があった。幼い主の優しい命令を、願いを聞き届けられなかったことに僅かな後悔を抱きながら、彼は弟のもとへと急いだ。
 予定よりも早く帰ってこられたことを喜ぶだろう。怪我を負ってしまったことに泣かれてしまうだろう。そして、精一杯の力でぎゅうぎゅうに抱きついてキスをくれるのだろう。
 冷え切った両手を洗い流し、彼は弟を抱きしめるため、扉に手をかけた。




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 兄さんの優先順位 弟>>>>[越えられない壁]>>>>その他
 拍手お礼なのにまさかの流血。誠に申し訳ありませんでした。(額ゴリゴリ)


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