ラストワルツが終わる頃





ラストワルツが終わる頃





「C.C.ってさ、健気で可愛いよね」

 スザクが唐突にそんなことを云うものだから、ルルーシュはポカンと惚けるしかなかった。
 ブリタニア皇宮のナイトメアフレーム整備庫。世界征服に欠かせないランスロットの調整のため、ロイドたちキャメロットを招聘し急務に当たらせている最中のことである。ようやく新ユニットが形になったと報告があったため、仕上がり具合と納期を確認しようと皇帝自ら足を運び、稼働テストの休憩中だったスザクに声を掛け、報告を聞き終えた矢先の寝耳に水。
 ルルーシュは得体の知れないモノでも見るような貌でスザクを見遣った。
 が、しかし視線は噛み合わず、スザクの眼はドッグの奥に向けられている。
 そこにC.C.が居ることは、入室したときから気付いていた。
 全権を掌握した皇宮でC.C.を部屋に閉じ込めておく理由はない。だから本人の自由にさせているわけだが、目下の最重要事項の邪魔をしていいと許可した覚えはない。ロイドやセシルらと話すC.C.に釘を刺しに行かなければと、スザクの報告を聞いている最中もずっと視界の端に捉えていたのだ。
 その傍迷惑な女が。

(健気? 可愛い?)

 一体何の冗談だろうか。
 ルルーシュは鼻を鳴らし、皮肉たっぷりの声色で応えた。

「我儘ばかりの厚顔な魔女、の間違いだろ」

 するとスザクはようやくルルーシュを見た。その眼差しは憐れみを含み、ルルーシュをたじろがせる。

「君にはそんな風に見えているんだね」
「ッ・・!」

 そのときルルーシュが覚えたのは明確な苛立ちだった。
 お前にアイツの何が解る。      そう叫びたい衝動をギリギリのところで抑え込んだものの、しかし感情を偽る必要がない相手を前にして咄嗟に表情を取り繕えるほど成熟していない。膨れ上がった怒りは正しく伝わり、スザクの眼に呆れまで加わった。
 そのまま無言で向かい合うこと数秒。
 先に動いたのはスザクだった。

「C.C.」

 ドッグの奥に歩み寄りながら、呼ぶ。
 振り返った女はスザクの向こうにルルーシュを見つけてハッと目を瞠ったが、すっかり近寄ったスザクが話し掛けるとそちらに視線を移した。
 ごく当たり前のその反応が、何故だかひどく気に食わない。
 スザクが話している間にC.C.は再びルルーシュに視線を戻し、それから一度も脇目を振ることはなかったけれど。それでもルルーシュは腹の底に蟠る怒りを無視することは出来ず、誰にも声を掛けないままその場を後にした。





 即位以降、ルルーシュは常に忙しかった。
 目を通しておくべき案件がとにかく多い。黒の騎士団のような新設のいち組織ならともかく、強大な帝国の根幹を大改革しようというのだから当然の話である。
 多忙なのは苦ではない。果たすべき目的と手段が明確なら、尚更。ゼロのときだって似たような生活だった。
 ただし睡眠時間に充てていた授業や息抜き代わりだった生徒会活動は今や存在しないから、適度に休憩を挿みながら執務と改革とその後の世界の下準備を淡々とこなし、夜に眠るしかなくなった。その分健康的な生活を送れているのだろう。体調は至って良好である。
 ルルーシュが端末を叩く音だけが静まり返った室内に響く。
 日中はそれなりに人の出入りがある皇帝専用執務室であっても21時を過ぎれば誰の来訪もない。そんな時間だからこそできるゼロ・レクイエム後のシナリオ作りに精を出していたそのとき、執務室の扉がそっと開いた。
 いかに静かであろうがノックもせずに入室する無礼者は限られる。近付く気配を敢えて無視していると、そっと呼び掛けられた。

「ルルーシュ」

 昼間の一件が腹立たしかったのは事実だが、本人に非がないこともまた事実である。
 名指しされてはさすがにこれ以上無視できないと判断して視線を上げると、最近定番の憂い顔にいつもの拘束衣姿のC.C.が立っていた。しかし手には見慣れぬ銀のトレーがあり、器がひとつ乗っている。
 なんだそれは。
 訝しむ眼差しに気付かないわけがないのに、C.C.は無言でルルーシュの前にトレーを置く。
 器の正体はカップだった。
 使用人が使う、装飾のない白磁のカップだ。そして何故かソーサーが蓋のごとくカップの上に被せてある。

「・・・・・」

 中身はプリンだった。しかもまだ温かく、湯気がくるりと螺旋を描く。蓋の力とはかくも偉大であるものか。
 ルルーシュは困惑した。
 C.C.の意図が読めない。元より読めない女ではあったが、それでも最近は解りやすくなったと思っていたのに。
 ルルーシュが睨むような鋭さでカップを凝視していると、遠慮がちに補足が入った。

「ニッポンの玉子料理だ。甘くない」

 なるほど、どうりで甘い匂いがしないわけである。
 終いにはスプーンまで差し出され、そこまでお膳立てされたら食べないわけにもいかず、ルルーシュは渋々スプーンを受け取り、ひと匙掬う。
 プリンほどの弾力はない。かと云ってカスタードのようなクリーム状でもない。卵に対して水分量が多いのだろう、つるりと滑らかな口当たりのそれは舌の上で簡単に解れて胃に落ちる。頼りないくらいに存在感がなく、しかしどこか懐かしいような優しい味。
 C.C.は感想を尋ねない。だからルルーシュも無言を貫く。
 器と口とを往復するスプーンに安堵したのか、C.C.の肩から力が抜けたのが視界の端に映った。

「・・・プリンが好きというのは本当のようだな」

 ルルーシュの手が止まる。
 昼間生じた昏い感情が唐突に噴き出すのを、事態を俯瞰で眺める第三者視点のルルーシュだけが冷静に眺めていた。

「スザクから聞いたのか」
「食べるなら好物がいいだろう?」
「甘くないのもスザクの入れ知恵か」

 吐き捨てるように言葉が出る。
 ルルーシュのことなのに直接ルルーシュに聞かず、スザクを頼るC.C.が気に食わなかった。
 手は止まったままだ。もう喉を通る気がしない。
 C.C.は眉を顰める。

「プリンはスザクに聞いたが、夜食なら甘味ではない方がいいと、この料理を教えてくれたのはセシルだ。レシピは、・・・・・まあ、参考にならなかったが」

 昼間の格納庫の光景が甦る。真剣な表情でセシルと話していたC.C.の横顔。あのときか、と腑に落ちた。
 溜飲が下がった。しかし決まりは悪い。
 手は止めたまま再び沈黙していると、C.C.から容赦のない視線がグサグサと刺さる。落ち着かない気分を誤魔化すようにスプーンを口に運べば、視線は幾分か和らいだ。

「・・・せめて夕食くらい、まともにとらないか」
「必要ない」

 軽食は政務の片手間にとっているし、不足する栄養素はサプリメントを摂取している。ゼロ・レクイエムまで保てばいい命を支えるには充分な食事だ。
 C.C.との間ですでに幾度か繰り返した問答。だが考えを改めるつもりはない。残された時間は短く、その中で最大限の土台作りをしておかなければならないのだから。
 C.C.は困ったように小さく息を吐いて、それから無理に笑顔を作った。
 少なくともルルーシュには無理に笑ったように見えた。

「あまり根を詰めすぎるなよ」

 云って、C.C.はふわりと身を翻す。
 ルルーシュは動揺した。食べ終わるまでそこに居るものだと思い込んでいたからだ。衝動と呼ぶ他ない、正体不明の感情のままに席を立ち、足早にC.C.の後を追う。


『C.C.ってさ、健気で可愛いよね』

 昼間に聞いたスザクの台詞が不意に甦る。
        C.C.がどんな女か、など。そんなことスザクに云われるまでもなく解っている。
 欠点だけでなく、美徳も。
 手放しで称賛したことはないが、スザクより多くを知っていることは確かなのだ。


 歩調と体格差が功を奏し、腕を掴むことに成功する。
 C.C.が振り返る。その、どこか張り詰めたような、頼りなく揺らめく琥珀の瞳を見止めた瞬間、ルルーシュは動きを止めた。
 自分は一体何をしようとしたのか。
 引き留めて、そして       抱き締めようとしたのではないか。
 それは共犯者の域を超えた行為だ。許可を得ずにしていい事ではない。

(あるいは、・・・)

 一連の衝動の正体を、想いを、言語化して情緒的に伝えれば、あるいは果実のような唇を食むことも、なめらかな柔肌に触れることも許される仲になれるのかもしれない。・・・・・いや、なれるという確信はあった。
 だが、なってどうするというのだ。
 ルルーシュの命の期限はゼロ・レクイエムまで。一緒に生きることも一緒に死ぬことも出来やしないのに、今さら関係を変えて心を遺すような真似をするのは勝手が過ぎるというものだろう。
 厚手の拘束衣に覆われてなお細い女の腕。それを不躾に掴む手から力を抜く。
 離れる手を悲しそうな眼で追っていたC.C.は瞼を伏せ、それからおもむろに歩を進めた。
 トン、とルルーシュの胸にC.C.の額が当たる。胴に微かな圧迫を感じて、そこでようやく抱き締められているのだと思い至った。

「ッ、・・」

 奥歯を噛む。
 甘やかされているのだ。為すことは己に返ってくる覚悟で臨むべきと豪語するルルーシュの持論を用いれば、ここでルルーシュがC.C.を抱き締め返しても問題はない。そんな状況をC.C.が意図的に作り出したことは明白で、差し出されたやわらかい身体に苛立ちが募った。       C.C.にここまでさせた、自身に対する苛立ちだ。
 感情に任せて荒々しくならないよう、努めてゆっくりと抱き締める。
 腕に閉じ込めてしまえばこんなにも頼りない肩と背。華奢な身体はそれでもやわらかく、確かに息をして、鼓動を刻んでいる。
 一度触れてしまえば離れ難くなる。そんな解りきっていたいたことがやはり現実となり、自嘲で唇を歪めながら両腕に力を込める。
 息を呑む僅かな反応はあったものの、C.C.から抗議の声は上がらない。
 ならば何か云われるまでと勝手に定め、ルルーシュは瞼を下ろす。

 夜の静寂にとけてしまいそうな執務室の片隅で、腕の中のぬくもりだけが確かな寄辺だった。







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